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 歴史の世界を覘くと奇説、珍説、迷説など諸説入り乱れて賑やか。
 2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』は、謎の人物で「天下の謀反人」といわれる明智光秀(生没年不詳)が主人公で展開する。光秀は、清和源氏の土岐氏の流れを汲む明智氏の生まれで生年不詳。生誕地も諸説あるが美濃国(岐阜県可児市)だという。斎藤道三に仕え、後、越前国の朝倉義景を頼った。また細川藤孝(幽斎)らと親交を結び、足利15代将軍・義昭にも繋がり、室町幕府の幕臣として仕え、教養を身につけた光秀は、武士の嗜みである連歌も詠んだ。
 天正10年(1582)5月28日の「愛宕百韻」の連歌会で、光秀は「ときは今あめが下しる五月かな」の発句を詠む。これは、日を置かず6月2日に蹶起して織田信長を討つ「本能寺の変」の決意だとされる。歌は「ときは今(土岐は今)あめが下しる(天下を知る)」となり「土岐氏が天下を盗る」の解釈。
 しかし光秀は豊臣秀吉に追われ「山崎の戦い」を経て、落ち武者狩りの土民に竹槍で刺され絶命したなどの他、生きのびて南光坊天海となり、徳川家の後見役として活躍したという咄が、まことしやかに伝わる。没年も不祥だ。
 そして天海作だという「かごめかごめ」は、巷で親しく唄われ時を繋いできた。

   かごめかごめ/籠の中の鳥は/いついつでやる
   夜明けの晩に/鶴と亀が統べった/後ろの正面だあれ 

 歌の「かごめ」は籠の編み目で6角形。これは江戸城(東京)日光東照宮(栃木)駿府(静岡)土岐(岐阜)明智神社(福井)佐渡金山(新潟)の6地点を繋ぐ。「籠の中の鳥」は「トキ=土岐」。それに「いつでやる」は「いつ復活か」であり「夜明け」は「日光」で、東照宮の屋根にある鶴(福井の明智神社)と亀(丹後の亀山城)を「統べった」家光が天下統一を成す。それで「後ろの正面」にある本徳寺(大阪府岸和田市)には「光秀の肖像画」を飾ると聞く。そんな意味を持つ歌として「だあれ」は「明智光秀」だそうだ。
 さらに徳川3代将軍・家光の乳母として権勢をふるった春日局は、光秀の家臣・斎藤利三と光秀の妹の娘であることから〝光秀天海説〟も信憑性がでてくる。光秀の1首。

  心しらぬ人は何とも言わば謂え身をも惜しまじ名をも惜しまじ

 幻の光秀が麒麟とともに「徳川三百年」の泰平の世づくりをした奇説があってもいい。 

# by inakasanjin | 2020-07-03 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)

岸壁の母 

 TVの歌番組を観ていた妻が「涙がでましたよ」と云う。子育てを終え、義父が逝き、孫が生まれて老齢に達した今「岸壁の母」を聴き、しみじみ身に沁みたようだ。
 この歌は明治32年(1899)石川県で生まれた端野いせ(82歳で没)さんがモデル。終戦後、昭和25年から6年間、東京で「戦死告知書」を受けても、猶、息子の生存と復員を信じ、ソ連の引揚船が京都の舞鶴港に入港する度、岸壁に立った。

  母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た とどかぬ願いと知りながら 
  もしやもしやに もしやもしやに ひかされて 
  また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない、この岸壁で待っている
  わしの姿が見えんのか、港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ、
  帰れないなら大きな声で、お願い、せめて、せめて、一言……
  呼んで下さい おがみます あゝおっ母さん よく来たと 海山千里と云うけれど 
  何で遠かろ 何で遠かろ 母と子に
  あれから十年、あの子はどうしているじゃろう、雪と風のシベリアは寒いじゃろう、
  つらかったじゃろうといのちの限り抱きしめて、この肌で温めてやりたい、
  その日の来るまで死にはせん、いつまでも待っている……
  悲願十年 この祈り 神様だけが知っている 流れる雲より 風よりも
  つらいさだめの つらいさだめの 杖ひとつ 
  ああ風よ、心あらば伝えてよ、愛し子待ちて今日も又、
  怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を……

 息子の帰りを待つ母の姿がマスコミに取り上げられ、昭和29年、藤田まさと作詞、平川浪竜作曲、室町京之介台詞「岸壁の母」が、菊地章子の歌でテイチクから発売されて大流行。後、昭和47年にはキングから出された浪曲調の二葉百合子のレコードが大ヒット、国民的歌謡になった。映画(中村玉緒)やTVドラマ(市原悦子)にもなり、母の子に対する純真な愛は息長く歌い継がれている。
 いせさん没後の2000年、岸壁に立ち、帰還を待ち続けた息子さんが上海で生きていたことが判った。母の「もしやもしや」の思いは真実だった。母は強しだ。


# by inakasanjin | 2020-06-26 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)

8月や6日9日15日 

 5・7・5の17文字の俳句。何百万人も句を詠む人がいるというが、おなじ17文字がどこかにあるのでは、と常々思っていた。その「先行句あり」を「それは誰だろう」と追った小林良作著『8月や6日9日15日』(「鴻」発行所出版局)を読むことが出来た。
 小林さんは「8月の6日9日15日」の句を結社の俳句大会に応募。すると先行句があるとの連絡を受け取り消した。ただ「の」や「は」「や」の違いだけで、同じ思いの方がいる、それも何人もいる。彼の探求心が湧き「最初の詠み人」捜しの旅が始まった。
 まずネット検索、全国各地の俳句結社や新聞社などで「句探し」をすすめ、大分県の特攻隊基地の跡地公園に「8月や6日9日15日」を刻む句碑があると聞き、訪ねた。
 3つの日付を詠み込む句は、単純で簡単、だがズバリ現代史を象徴する。だから人間の発想に「同じ思い」の人々が居てもおかしくはない。ところが、これが「作品」として動き出すと、そうはいかなくなる。それを純粋に追った小林さんに敬意。そして「句」の作者が広島県尾道市で医師をしていた諫見勝則さん(1925~2014)と突き止めた。
 諫見さんは、長崎県諫早市出身で、昭和18年(1943)江田島の海軍兵学校に入校した後、広島の原爆を体験。昭和21年、未だ原爆廃虚の中の長崎医科大に入学。そして25年、医師としてのスタートは長崎からだった。戦後、長崎と尾道で被爆者の診療にもあたったといわれる。広島、長崎、終戦の「8月や6日9日15日」は、平成4年(1992)に諫見さんが最初に詠んだ、と小林さんの調査で判明。作句者が原爆に関わる人物だったことの意味は重い。だから「の」ではなく「は」でもない「や」なのだろう。
 ネットの俳句データーベースで栃木の荻原枯石による「句」との記述もあるが、やはり諫見医師による実体験に基づくであろう句づくりに軍配を上げたい。また、この「句」は永六輔さんがラジオ番組で紹介したこともあり、広く知られるようになったと言う。
 尾道で医院を引き継ぐ諫見康弘氏は「句は、父が診察室に掛かるカレンダーを〈ある想い〉で見つめていて、ふっとでてきた言葉」だったというが、句を追った小林さんは「6日」「9日」「15日」が、如何に「単なる追憶の日付ではない」深く、重い「日」であるか、を記した。言葉が簡素だからこそ、誰もの心にグサリと突き刺さり、残る。

# by inakasanjin | 2020-06-19 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)