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 詩人で翻訳家の上田敏(1874~1916)は、明治38年(1905)にフランス、イタリア、ドイツ、イギリスなどの詩人29名の57篇を訳詩集『海潮音』として刊行した。欧米詩人の原詩を遥かに凌ぐと言われる訳は、高い評価と評判。異言語を日本人のリズムと感性に添う「訳」は、素晴らしい「日本語の詩」を誕生させた。山と海の2篇を拾う。


 ドイツの詩人・カール・ブッセ(1872~1918)の「山のあなた」を拾う。


   山のあなたの空遠く/「幸」住むと人のいふ。/

   噫、われひとゝ尋めゆきて、/涙さしぐみ、かえりきぬ。/

   山のあなたになほ遠く/「幸」住むと人のいふ。


 フランスの詩人・テオドール・オーバネル(1829~86)の「海のあなたの」を拾う。


   海のあなたの遥けき国へ/いつも夢路の波枕、/波の枕のなくなくぞ、/

   こがれ憧れわたるかな、/海のあなたの遥けき国へ。


 ところで「妙訳」というより「超訳」と言っていい「訳」がある。日本人にピタリ馴染むもので、唐の詩人・于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒(かんしゅ)」の翻訳だ。


   勧看金屈巵(君に勧む 金屈巵)  満酌不須辞(満酌 辞するを須いず)

   花発多風雨(花発けば 風雨多し) 人生足別離(人生 別離足る)――「勧酒」


 この漢詩「勧酒」を作家の井伏鱒二は「サヨナラだけが人生だ」と訳している。


   コノサカヅキヲ受ケテクレ     ドウゾナミナミツガシテオクレ

   ハナニアラシノタトヘモアルゾ   「サヨナラ」ダケガ人生ダ


 井伏の「サヨナラだけが・・」を受けて歌人の寺山修司は「幸福が遠すぎたら」を詠んだ。


   さよならだけが 人生ならば/また来る春は 何だろう?/

   はるかなはるかな 地の果てに/咲いている 野の百合 何だろう//

   さよならだけが 人生ならば/めぐり会う日は 何だろう/

   やさしいやさしい 夕焼けと/ふたりの愛は 何だろう//

   さよならだけが 人生ならば/建てた我が家 なんだろう/

   さみしいさみしい 平原に/ともす灯りは 何だろう/

   さよならだけが 人生ならば/人生なんか いりません ――「幸福が遠すぎたら」


 翻訳は、直訳や抄訳、意訳、重訳、自由訳などあるが、要は「意」が伝わることだろう。







# by inakasanjin | 2021-12-31 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)

 この話題は、世界ふしぎ発見を超えるものであろう。驚くというより、人間の不思議な変化自体に怖さを覚える。いわゆる思春期は人間の身体に様々な変化が起きる、身長や体重、体毛、声変わりなど、男女それぞれが経験することだ。ところが西インド諸島・ドミニカ共和国の小さなサリナス村では、ゲヴェドース(12歳になると男性器が生える意味)と呼ばれる「性」の転換現象が起きる、つまり思春期に少女から少年に変化する不思議な症状がでる。村では、この違和感が珍しくないというから驚く。それも90人に1人の確立だそうで、名前も女から男名に替える者もいれば、そのままの者もいるそうだ。


 ゲヴェドースは、妊娠8週間目から男性ホルモンのジヒドロテストステロン(DHT)によって男性器になっていくが、サリナス村の妊婦にはDHTの量に影響する「5a還元酵素」という酸素が足りずに起こる遺伝子疾患があり、男性器と精巣を持たない「子」を生むために女児に間違われる。そしてテストステロンが急増する思春期になると男性器が大きくなってゆく仕組みのようだ。少女として育てられ、やがて少年に変わるのだ。


 ピンクのタンクトップからブルーのシャツに着替えて床屋で散髪する、そんな「少女が少年に変わる」奇妙な噂を聞き、1970年代、アメリカのコーネル大学・ホルモン障害分野専門のジュリアン・インペラート医師がサリナス村を訪問、確認、発見、発表した。

 12歳でペニスができると云う現象を「悪魔、汚らしい」と忌み嫌う人もいれば「祝福、喜ばしい」と受け入れる住民もいて様々だ。とにかく多感な思春期の変化に少年少女自身が変化を実感しながら暮らすサリナス村があるという現実を認めるしかない。この現象はニューギニヤやトルコなどでも確認されているが、調査記録は残っていない。


 日本は平成15年(2003)に「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律」なる長たらしい法ができて性同一の診断と治療のガイドラインなどが示されてはいるが、サリナス現象が出現したとしたら、日本人はどんな反応を示すだろう。

 起こり得ないと思っていた、ことが地球上の片隅では起っている。その性的マイノリティーもごく普通に過ごせるサリナス村のような環境もできている。まず〝ものごとは早く知り、認める〟ことからが始まりになるだろう。いろんな世界があるということだ。










# by inakasanjin | 2021-12-24 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)

 郷土の仲間で結成している一般社団法人豊前国小笠原協会(川上義光理事長)は、平成時代に100年を超えて復興なった「かずら筆」の普及を図ろうと、発祥の地である「豊前国」の小倉城から全国に向けて発信することになった。かずら筆は、自然から生まれた素朴で、特異な「筆」であり、揮毫された書には、独特な「線」が生まれるといわれる。

 まさに人間の技と自然の見えない力が合わさった作品として仕上がるのだろう。大自然の中で息づいた「蔓」の命が、人間の手を伝って「書」の命を生むのだろう。

 ひっそりと隠れ伝わった「かずら筆の由来」を伝える「栞」を作った。


【かずら筆の由来】

 福岡県みやこ町犀川木井馬場で幕末から明治にかけて書家・下枝董村(しもえだとうそん/1807~85)が暮らしていました。 董村は、小笠原藩十代藩主・小笠原忠忱(幼名・豊千代丸)侯の書道師範を務めていましたが、明治2年(1896)、木井谷を安住の地と定め、明治18年、79歳で没するまで自然豊かな里で日々を送りました。

 彼は、村人から現人神として崇められ、日本書家十傑の1人といわれるほどの人物でした。日々三千字の練習を自らに課し、この地で入手できない筆墨は、山中の樹木に絡まる「蔓」を叩いて「筆」、川の水を「墨」、川底の乾いた大石を「紙」として研鑽を重ね、雄渾で躍動感ある書を得意としました。かずら筆は自然を愛し、自然を友とした董村が自然から創り出した筆です。平成元年(1989)、みやこ町の「柿ノ木原董村会」が、百年を超えて復活後、幻の筆として密かに伝わっていたのを「かずら筆同好会」が再復活させました。

 独特な「線」が生れる「筆」を使っての「書」を愉しんでください。

                     一般社団法人豊前国小笠原協会


 郷土の特産品として歴史に基づいた珍しい「商品」が誕生。小倉藩で生まれ、伝わる「唯一無二の筆」が愛好家によって小倉城「しろテラス」から広がることを願い、かずら筆独特の「線」の創出を、したためる書に生んでほしいものだ。歴史に埋もれた郷土遺産の誕生ならば、生んだ郷土の先覚の想いを受け継ぎ、守り育てていくべきであろう。これからの時代、風土のフードビジネスが盛んになるのではなかろうか。歴史に培われた「地」を学ぼう。











# by inakasanjin | 2021-12-17 09:00 | ふるさと京築 | Comments(0)

日本のジャンヌ・ダルク

 昭和35年(1960)6月15日、国会構内で全学連と警察官が衝突した反安保デモの中、東大の女子学生・樺美智子さん(1937~60)が胸部圧迫で窒息死。強い正義感を持った彼女は安保闘争に参加、活動していた。フランスの守護聖人の一人であるジャンヌ・ダルク(1412~31)に重なる樺の墓誌には「最後に」の詩が刻まれている。


  誰かが私を笑っている 向こうでも こっちでも 私をあざ笑っている

  でもかまわないさ 私は自分の道を行く

  笑っている連中もやはり 各々の道を行くだろう

  よく云うじゃないか 「最後に笑うものが 最もよく笑うものだ」と

  でも私は いつまでも笑わないだろう いつまでも笑えないだろう

  それでいいのだ ただ許されるものなら

  最後に 人知れずほほえみたいものだ  1956年 美智子作


 彼女は、兵庫県神戸市で社会学者の娘として生まれ東大に入学。国内で大きなうねりになった「安保改定阻止」の急進的活動家として知られ、圧死したことで殉教者となった。後の世では「60年代を超えた者たち」の確かな証として彼女は詠み続けられる。


   一粒の麦芽ぐむ朝、いちにんの女子学生の死は泥寧に     太田青丘

   六月の雨は切なく翠なす樺美智子の名はしらねども      福島泰樹

   樺美智子へ!もし一片の恥あらばわが魂の四肢の十字架    三枝浩樹

   デモに散りし樺美智子の顔ふとも今なお背負うかなしみなりて 岡貴子

   樺さん今もどこかに棘ささるあの日の僕は図書館にいた    伊澤敬介

   六・一五ぽとりと落つる夏椿その白さこそ樺美智子よ     重信房子

   三十九年経て立つ南門かの夜を樺美智子は足もとで死す    川名つぎお

   あの日から半世紀経て樺忌の六月一五は年金支給日      山内利夫

   安保より辺野古へたどる道の辺に樺美智子はとまどひをらむ  三ツ木稚子


 6月18日、国会を33万人が取り囲んだ後、日米新安保条約発効とともに岸信介首相は退陣を表明。24日に樺の葬儀が日比谷公会堂で行われた。毛沢東から「樺美智子は全世界に名を知られる日本の民族的英雄となった」のメッセージが寄せられた。母・光子の手になる遺稿集『人しれず微笑まん』はベストセラーになった。樺の心は今も息づく。








# by inakasanjin | 2021-12-10 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)

 人の縁とは不思議。長崎出身のシンガー・ソングライターのさだまさし(1952~)は「直接の面識」はないアフガニスタンで2020年12月4日、非業の死を遂げた中村哲医師(1946~2019)へ「捧げる」歌をつくった。彼は「先生から手紙をもらったような歌」になったという「ひと粒の麦」は、大地に流れ、広がり、人々の心を励ます。


  ひと粒の麦を大地に蒔いたよ/ジャラーラーバードの空は蒼く澄んで/

  踏まれ踏まれ続けていつかその麦は/砂漠を緑に染めるだろう//

  戦に疲れ果てた貧しい人達には/診療所よりも一筋の水路が欲しい/

  水があればきっと人は生きられるだろう/諍いを止める手立てに//

  Mom℮nt/薬で貧しさは治せない/

  Mom℮nt/武器で平和を買うことは出来ない/

  Mom℮nt/けれど決して諦めてはならない//

  ひと粒の麦の/棺を担う人に/伝えてよ悲しんではいけないと//

  この星の長い時の流れの中で/百年など一瞬のこと//

  ペシャワールの山の向こうの見果てぬ夢意外に/伝えたいことは他にはあまり無い/

  珈琲カップに夕日が沈む頃に/ふと思い出してくれたらいい//

  Mom℮nt/いつか必ず来るその時まで/

  Mom℮nt/私に出来ることを為せば良い/

  Mom℮nt/私に出来るだけのことを//

  Mom℮nt/薬で貧しさは治せない/

  Mom℮nt/武器で平和を買うことは出来ない/Mom℮nt//

  Mom℮nt/夢はきっと引き継がれるだろう/

  Mom℮nt/私に出来ることを為せば良い/

  Mom℮nt/私に出来るだけのことを  

   ――「ひと粒の麦~Mom℮nt~」


 さだは「お互い侠客の血を引く者として意識してきた」という。中村医師は芥川賞作家の火野葦平(1907~60)を伯父に持ち、北九州・若松港の石炭荷役請負「玉井組」を率いた玉井金五郎が祖父であり、さだは長崎港で港湾荷役の沖仲仕を束ねた「岡本組」の岡本安太郎が曾祖父である。まさに任侠の血を引く2人。中村医師の「無私の精神」は、大震災や豪雨被災地への支援ライブを続けるさだの「行動理念」に通じる。「義と情」の人間に対する深い愛は共通しているようだ。歩む道は違っても、また、まみえることが叶わずとも目指す愛は、交叉し、繋がり、深まって、救いと夢を灯し続ける。人の愛は永遠。


# by inakasanjin | 2021-12-03 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)