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 平成3年(1991)8月、行橋市の「コスメイト文化公演」に小説、脚本、司会などで活躍する作家の藤本義一さんが講演に来た。その時の思いを残しておきたい。

 講演前、楽屋での待ち時間、藤本さんは何枚もの色紙に、筆で、一言と名前を揮毫。私は「人生 一途たれ 義一」の色紙を頂けた。

 で、サインは、いつも筆ですか、と訊くと、手を止め「何?」と言う風に、ゆっくり顔を上げ、こちらの言葉を待つ目が鋭かった。隣町に、かずら筆があるのですが、と伝えると「かずら筆って、どんなの?」という。山中の樹木に絡まる、あの蔓です、と答えると、興味を示した。そこには藤本義一大フアンの隣町(犀川町)役場職員M君も同席していた。彼に「町長がプレゼントします」と強引に言わせ、後日「かずら筆セット」を贈った、と数ヵ月後、藤本さん揮毫「蔓筆」の大きな縦長の額が町長室に届き、役場の職員は大感激。


 かずら筆は、小笠原藩主の手習い師範を務め、幕末から明治にかけて活躍した書家の下枝董村が使っていた筆で、平成元年、犀川町木井馬場の「柿ノ木原董村会」の皆さんにより、百年を越えた郷土民芸品として復活した。山から伐り出された蔓で筆が作られ始めた。今、地元の城井郵便局では郵パックで全国に送られている。


 藤本さんは、筆が届けられた翌年、雑誌「墨」(1992年1・2月=94号/芸術新聞社)に「かずら筆」を登場させてくれた。インタビューのコーナーで「……最近は葛の筆を使っています。これは犀川(福岡県)へ行ったおり、奇妙な書があったのでたずねると、葛の筆を作った先生が書いたという。葛筆で字を書いた人はもう百何年前から今までいないのじゃないか? そう思うと、ものすごく書きたくなってね。(略)筆の軸に墨の冷たさが上がってくる感じです。道具というのはまた蘇ってくる時期があると思います(略)手作りの珍しいものを捜すのは楽しいですね……」と話す。

 その紙面には、かずら筆で揮毫した地酒のラベル「桶狭間」があった。


 その数年後、藤本さんは、町主催の講演会に再来。筆作りの民家を案内、木槌で叩く筆作り体験もされた。穏やかな表情を思い出す。昨年10月30日、78歳で亡くなった藤本さん、もうすぐ1周忌。あの、待つ目、が思い出される。さりげない一言にも、想いがあれば、鋭い興味を抱く藤本さんと、同じ時、を持てたことが嬉しい。


# by inakasanjin | 2023-02-10 09:00 | ふるさと京築 | Comments(0)

ドラマのセリフ

 運命の矢は前からくるから避けられる、が、宿命の矢は後からくるので避けられない――


 これは、韓国ドラマでのセリフだ、なかなかの言葉だと記憶している。

 韓ドラでは、随所に人生の指針となるような洒落たセリフがさりげなくでてくる。

 それも韓流ブームの魅力のようだ。それに比べ、日本のドラマから面白さが失われていったのは、1つには、心打つセリフが無くなったからではなかろうか。漢字、ひらがな、カタカナと視覚で思いを伝える文章に対して、映像の中、喋って届く会話など聴覚で理解するセリフに、もう少し、気遣うドラマがあってもいいようだ。

 平らな横文字には無い、流れる縦文字の文化を持つ日本語の奥深さを考えてみれば、もっと、もっといろんな表現ができるはずだ。多くの想いを添える〝ことば〟を持つ国民として、まだ、まだ工夫を凝らしたセリフの、醍醐味を味わってみたい。

 そう言えば「せりふの時代」(2010年休刊)という戯曲雑誌も出ていた。


 また韓ドラは、生きる人間の姿を徹底して描く。権力に向う姿にしても、愛を成就する真っすぐな気持の表現など、とにかく生きて、生きて、生き抜く、がむしゃらさ、が登場人物から伝わってくる。画面の映像は、取り立ててどうと言う事は無い、舞台装置も贅沢ではないし、ロケ地の景色も、ごくありふれた場所のよう、なのに、惹きつけられる。これは、やはりセリフのようだ。監督が、姿を映すよりも心を映すことに真摯に腐心しているからだろう。国民性といえば、それまでかもしれないが、生きていく人の姿、生きたいと願う人の心は、どこの国でも同じだろう。

 で、時折、ドラマのセリフが、ふっ、と生活の中でよみがえる。次のセリフは、我が子の師匠になろうとする人物に、母親が、お願いする、韓ドラ、1場面の言葉だ。


 ――奪う力ではなく、分け合う力、恥を知る心。そして、おのれが手にしたものが取るに足らぬ、という真(まこと)の力、を持たせて欲しい。


 活字文化から映像、ネット文化へと移行していく、が、いつの時代であっても、ことばの力は、変らず無限だ、と思う。人間、日々、ことばの中で育まれ、心をつなぐことばに励まされ、慰められる人々がいるのだから、その力を信じていきたい。

 そう、ドラマの魅力は、なるほど、と伝わる、生きたセリフなのかもしれない。






# by inakasanjin | 2023-02-03 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)

十二支は植物の成長過程

 干支を追っていて、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の十二支が「植物の成長過程」だったとは知らなかった。十二支は、3千年前の中国最古の王朝・殷王朝時代の暦といわれ、植物の成長の意味だとされる。それは植物が芽を出し、成長、花が咲き、実がなって、やがて枯れ、そしてまた再生する、という自然のサイクルを12段階で示した植物の状態だそうだ。


 まず、子▼種から生命が誕生する状態、から始まり、丑▼芽が出ようとする状態、寅▼芽を出した状態、卯▼茎や葉が大きくなる状態、辰▼よく育ち形が整う状態、巳▼完全に成長した状態、午▼成長が止まり、衰えてくる状態、未▼実がなり始める状態、申▼実が大きくなる状態、酉▼実が熟した状態、戌▼枯れていく状態、亥▼種に生命を閉じ込める状態、の様子を現すもののようだ。

 また読み方も、子(シ)丑(チュウ)寅(イン)卯(ボウ)辰(シン)巳(シ)午(ゴ)未(ビ)申(シン)酉(ユウ)戌(ジュツ)亥(ガイ)という。


 そして植物の成長過程を伝える解説をみると、▼子は「孳(シ)」で「ふえる」意味、▼丑は「紐(チュウ)」で「ひも・からむ」意味、▼寅は「螾(イン)」で「動く」意味、▼卯は「茂(ボウ)」で「しげる」意味、▼辰は「振(シン)」で「ふるう・ととのう」意味、▼巳(イ)」は「止む」の意味、▼午は「忤(ゴ)」で「つきあたる・さからう」の意味、▼未は「味(ミ)」で「あじ」意味、▼申は「呻(シン)」で「うめく」意味、▼酉は「酋(シユウ)」で「ちぢむ」意味、▼戌は「滅(メツ)」で「ほろぶ」意味、▼亥は「閡(ガイ)」で「とざす」意味、など十二支の「字」の意味付けがなされている。


 ところが、十二支が植物から動物に変わったのは、字が読めない人にも理解されやすいようにと、身近な動物に喩えて覚えるようにしたためとされる。近年は、ほとんど「干支は動物」の認識になっている。

 それぞれ動物の十二支解釈を追うと、子▼子孫繁栄、の解釈から始まり、丑▼粘り強さ、努力、寅▼行動力、決断力、卯▼飛躍、家内安全、辰▼出世、権力、巳▼生命、金運、午▼健康、陽気、未▼安泰、おだやか、申▼魔除け、利口、酉▼商売繁盛、親切、戌▼忠誠、子宝、亥▼無病息災、正義、などの説明が行なわれている。

 

 え~っと、干支の十二支が、実は動物ではなく、植物の成長過程だった認識になると見方も、また、ひと味違う。人が生きていく指針として新たな解釈が生まれてくる。


# by inakasanjin | 2023-01-27 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)

 私たちの暮らしは「生活」といわれる。学校でのクラブ活動は「部活」といい、民間経営のノウハウ活用は「民活」になり、自分ひとりの生活は「自活」とされる。

 近年「〇活」という言葉が、やたら増えてきた。ふり返ると、就職活動の「就活」が元祖のようだ。この「就活」は、ある記録によると、平成7年(1995)5月27日付の産経新聞に、女子学生から同紙記者宛てに届いた「就職活動(就活)に勢い込む前に元気に明るく暮らすつもりです。就活はイイ女の試金石かも知れません、ね」との手紙に因るようだ。それ以降、各界各層で各種の「活」が次々に誕生してくることになった。


 まず、身近な「婚活」が流行り「妊活」「産活」「保活」「育活」と続いた。また若者の「恋活」が増えると「愛活」「学活」「友活」や「美活」も生まれる。日々の中「朝活」「昼活」「夜活」「寝活」「呆活」「個活」などを愉しむ風潮が生まれてきた、が、映画会社の「日活」までもが、勘違いされる始末。で「温活」「敏活」「燃活」「便活」「菌活」「毛活」になると、訳が分からなくなる。外国ブームがくると「韓活」や「留活」などに惹きつけられる。


 さらにソーシャルメディアを活用する「ソー活」や小学校入学児のランドセルを買う「ラン活」、コラーゲンの正しい理解の「コラ活」、タピオカドリンクを飲む「タピ活」、自分の好きな分野に傾倒する「オタ活」、自由気ままに暮らす「ソロ活」などがあるかと思えば、漢方薬の「羌活(きょうかつ)」や山菜の「独活(うど)」などが巻き込まれる現象もあるようだ。一方、「転活」や「離活」も生れる。さすがに「葬活」は無いが「墓活」議論が活発になり、それぞれの「終活」へと繋がってゆく。最後は「死活」問題に発展するかも知れないが、とにかく生きるための活動は愉しみたい、の思い。就活と終活の詠みをみる。


    就活で父の偉大さやっと知る

    目に見えぬバリア張られているようだ近づけないぞ就活セミナー

    終活で語る人生過去未来

    終活をそろそろせむと話したる友は終活せぬままに逝き


 生活が活発になればなるほどいろんな造語が生まれ、長い年月をかけて定着し「退職後就活終活二刀流」などと、暮らしに楽しさが加わる。言葉が生活を「活性化」させるようだ。


# by inakasanjin | 2023-01-20 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)

 令和4年(2022)5月2日、北海道帯広市で鈴木智也さん(22)の告別式が行われた。式後、斜里町ウトロの港に止めていた車で見つかった智也さんの彼女への〝プロポーズ文〟を遺族が公表した。心こもる「嫁になってくれますか?の手紙」に心打たれる。


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 誕生日おめでとう。今日でゆっちと出会って308日が経ちました。最初は本当に顔が小さくて可愛いな~っていい子だなって、それが今や彼女なんだよ!!!

 凄くない?本当に運命感じたし、こんなに気が合う彼女って他に居ないよ。

 喧嘩だって無いし、本当にハタチか?ってくらい大人だよ。ととをここまで支えてくれて、好きでいてくれてありがとう。そして、ずっとずっと大好きです。

 周りにどう思われたって2人で乗り越えていくって決めたし、環境が変わっても俺が守るってゆっちは俺が大切にするって誓ったから。これからも一生一緒についてきてください。生まれてきてありがとう。愛しています。嫁になってくれますか?  

 7月7日に返事待ってます。         byとと 2022・4・23


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 手紙は、智之さん(とと)が、彼女(ゆっち)への想いを素直に綴ったものだ。4月23日(事故の日)はゆっちさん、7月7日はととさんの誕生日。手紙は、多分、遊覧船観光の後に実現する智之さんのサプライズだったのではと思う。2人の優しい姿を想像する。

しかし、その姿は永遠に失われた。知床の冷たい海で若い命が喪われた。

 知床観光船沈没事故として記録されるであろう海難事故は4月23日に発生。遊覧船「KAZD1(カズワン)」が北海道の知床半島西海岸沖のオホーツク海域で沈没して乗船者26名は、智之さん葬儀までに14名の死亡が確認、12名が行方不明である。

 それで「とと」さんは見つかったが「ゆっち」さんは、まだ不明。海原で懸命の捜索が続く中「なぜ、荒れた海に出航したのか」などの議論も続き、関係先の捜索が行われ、遭難の原因究明に向けての捜査も始まった。誰もが生きて還るのを願っているが絶望的だ。

 楽しい未来を約束していたであろう2人の遊覧船の旅は一瞬にして魔に襲われた。お互いが許し、思い合った命が、こんなにあっけなく消えるとは想像しなかったであろう。いつ何が起きるか、どうなるか。人生、常に「まさか」の「坂」にいる覚悟が大事だろう。


# by inakasanjin | 2023-01-13 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)