2023年 12月 15日
世界一短い自由詩だろう「冬眠」
福島県いわき市出身の〝蛙の詩人〟といわれた草野心平(1903~88)は、慶応大を中退後、中国の大学に留学。そこで日本から送られて来た宮澤賢治『春と修羅』に刺激されて試作を開始した。排日運動で大正14年(1925)に帰国。賢治に会うことはなかったが『賢治全集』刊行には尽力した。昭和3年(1928)蛙をテーマにした初詩集『第百階段』を刊行。後、蛙の詩を書き続けた。昭和62年には詩人として文化勲章を受賞した。
彼独特の蛙の詩がある。1篇は、おそらく世界一短い自由詩であろう「冬眠」のタイトルで「•」がある。これはどんな意味を持つ「言葉」なのか、それとも単なる記号なのか、まさに「•」だけだ。
もう1篇は「春殖」の題で「るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる」である。蛙の交尾時の擬音語だとか、35個の「る」が並ぶ。
また英語の「Q」が方々を向いてアトランダムに40個記された「視覚詩」なる作品もある。これはオタマジャクシを表現しているのだとか、どれもカエルに絡んだものだ。
草野心平は「長女綾子、その4つ下が民平、その4つ下が心平、そのまた4つ下が京子、その3つ下が天平」と記すように2姉妹3兄弟だった。兄も弟も詩人だった。
兄の草野民平(1899~1916)は、結核性カリエスで若くして逝った。彼の詩。
のろま男 いぢけたのろま男 鉛の仮面、悪漢の首領 おもんみる
逃亡者の真実 午さがり あれに怨すサ これも赦すサ いろ男
六百人の軍人の敵愾心 直立したる冷笑と 古今の金言 僧院長の大あくび
文体 肉の彫刻 俺といふもの! ――「俺の説明」
弟の草野天平(1910~52)は、東京の銀座で喫茶店を開業していたが、後、滋賀の比叡山に移って詩作に励むが、詩業半ばにして生涯を閉じた。多くの詩を残す。彼の詩。
人は死んでゆく また生れ また働いて 死んでゆく やがて自分も死ぬだらう
何も悲しむことはない 力むこともない ただ此処に ぽつんとゐればいいのだ
――「宇宙の中の1つの点」
超短詩「•」を遺した詩人は「名誉ある天才は宮澤賢治だ」と賢治を世に出した人でもあった。ところでモハメド・アリ(1942~2016)に短詩「me、we」がある。
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by inakasanjin
| 2023-12-15 09:00
| 文学つれづれ
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2023年 12月 08日
吉田増蔵先生のこと
与謝野寛(鉄幹)・晶子夫妻の末娘・森藤子さんの「吉田増蔵先生のこと」(橿原神宮庁発行「かしはら」99号―平成3年1月)と題する随想を読むことができた。父・寛の死の前後を綴る貴重な一文だ。
文は「昭和が終わり、平成の世に入りましたが、これを機に元号『昭和』を考案された人物として、漢学者吉田増蔵先生の名が、あらためて浮彫にされました」で始まり「私の父、与謝野寛は、10代で落合直文門に入り、生涯、落合先生、森鷗外、上田敏の3人の方を師と仰ぎましたが、50歳に及んで、吉田先生に師事しました」とあり「いまの陛下の『明仁』という御名も、各親王、内親王方の御名や宮号も、吉田先生のご考案によることが判った」に続いて「御高文恭しく拝読」手紙の遣り取りも見え「昭和9年の夏、父母は信州上林温泉の塵表閣に遊び、はからずも吉田先生が同宿されているのを知り、一夜歓談」したとあり、歌を残している。
ゆくりなく沓野に遇ひて師と語る象山の得し妙香の蘭
そして「翌る10年の3月、父は月はなに旅先で得た風邪がもとで肺炎をおこし、入院して半月たらず、62年の生涯を閉じました」の後に「荻窪の家」で「先生はいくどもいくども涙を拭われながら『與謝野寛之墓』と筆を揮われ(略)『冬柏院雋雅清節大居士」という法名をつけて下さったのも吉田先生です」と続き「57日の忌に、先生は次のような七言律詩を贈って下さいました」と記して吉田の漢詩が続く。
楓樹蕭蕭杜宇天。 不如帰去奈何伝。 読経壇下千行涙。 合掌龕前一縷香。
志業未成真可恨。 声名空在転堪隣。 平生歓語幾回首。 旧夢茫茫十四年。
この追悼漢詩を受けた「母の晶子は、さっそくこの56文字を1つずつ詠みこみ、父を憶う56首の『寐圜』と題する歌をものしました」とあって「昭和16年12月、太平洋戦争の開戦の詔書作成にも力を注がれたに違いない先生は、開戦まもない19日に亡くなられました。すでに不治の病床にあった母に代って、私はご葬儀に伺いましたが、その日も寒い日で、お邸をとりかこむ喪の幕が、はたはたと風に鳴っていたのが忘れられません」と記す文。
父とその師をめぐって2人の出会いから別れまでが短い文に見事、表現されている、それをつなぎ文にしてみた。さすが想いこもる文は伝わり沁みる。
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by inakasanjin
| 2023-12-08 09:00
| ふるさと京築
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2023年 12月 01日
リヤカーで日本1周徒歩の旅
平成26年(2014)11月8日、福岡県行橋市下検地の写真家・中村順一さんが亡くなった。享年64歳。今年、3回忌。彼は筋萎縮性側索硬化症という筋肉の萎縮と筋力低下をきたす極めて進行の速い疾患だった。あっという間、本当に突然だった。というのは、豊前市の藤井悦子さん(74)の『豊前国三十三観音札所めぐり』(2014年7月刊・花乱社)の写真を彼に担当していただいた。旧豊前国、宇佐から京築、田川、北九州に散在する現在の「三十三観音札所」を撮ってもらった。死は、その本刊行後、間もなくだった。
2011年春、彼が、いい写真を撮っていると聞き、行橋市内で写真展開催を依頼する際に会った。それは、彼が「還暦記念」にリヤカーで日本1周徒歩の旅を終えた後だった。2010年春、行橋をスタート、日本海側を上り太平洋側を下ってブログ「路傍から見た日本」を更新、景色を撮影しながら約9ケ月、日本1周約9600㌔余を踏破した。6千枚を超える写真を撮っていた。その中に東日本大震災1年前の東北路の景色も収まっていたのだ。彼に「2010年の夏、大震災前の風景」展を開いてもらった。消えてしまった景色に人々の温かいまなざしが注がれた。彼の「路傍から・・」のブログを追う。
▼家の中から氷の入ったお茶を持ってきてくれた。「九州からです」の説明に「大変でしたね」と優しい笑顔。たった1杯のお茶でこんなに心が和んだのは初めてだ。(青森県)
▼道路横の看板に大きな字で「さしのべる 手のぬくもりを どの子にも」と書いている。地元の中学生に励まされ、この洋野町種市の人は思いやりのある人が多いな。(岩手県)
▼三陸町を抜けた処で車が停まった。若い男女が「頑張ってください」と笑顔。お握り2個とスルメ、お茶の差し入れ。自分たちのだったのではと胸がジーンとした。(宮城県)
▼古い漁港、釣師という地名だ。道路沿いの納屋からおじいさんが出て来た。人間らしい実に良い顔。日本版ヘミングウェイ。許可を得てバチバチシャッターを切った。(福島県)
▼車が停まって「暑いでしょう」とお茶、車窓が開き「頑張って」と若い女性がスポーツドリンク、今日の差し入れは3回目だ。茨城県人の優しさに心打たれた。(茨城県)
鎮魂こめた写真展は「あたりまえの景色」がいかに大切であるかが伝わった。寡黙な中村さんが撮り続けた「写心」は、生活の中で紡ぐ「あたりまえの心」ではなかったか。合掌。
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by inakasanjin
| 2023-12-01 09:00
| ふるさと京築
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2023年 11月 24日
詩人は「いのち」の発見者
いのちを紡ぐ詩人は、いつか、どこかで、誰かが見つけるものだ。夭折詩人のブッシュ孝子(1945~74)を知った。彼女は「私のために生きようという人がいる/その人のために私も生きよう」と記したが、若くして逝った。彼女の短い生涯を追ってみる。
ブッシュ孝子は本名・服部孝子。お茶の水女子大で児童心理学を学んだ後、ドイツに渡りウイーン大学で3年間留学生活。そこでヨハネス・ブッシュと出会う。
昭和45年(1970)帰国後、体に異変、乳がんが見つかった。手術後、ヨハネスと結婚。宮沢賢治やリルケを愛読し「童話を書きたい」と願った。48年9月9日から「私は信じる/私にも詩が書けるのだと/誰が何といおうと/これは私のほんとうのうた/これは私の魂のうた」と詩を綴り始めた。11月、再入院。翌年1月、28歳で逝った。詩は、亡くなる2週間前まで書き継いだという。その年の夏、教育者で恩師の周郷博編・遺稿詩集『白い木馬』が出版され、詩が合唱曲になるなど評判をとったが、何時しか、忘れられた。
東日本大震災後、批評家の若松英輔が、彼女を知り「虚飾のない言葉で綴る。いま本当に読まれるべき」詩と、講演などで紹介した。話を聞いた出版社(新泉社)の浅野卓夫は「全作品の出版」準備を開始。令和2年(2020)に『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は』が刊行された。彼女の母(95)は「人生は長さではないですね」といい、娘の詩に想いを寄せる。
▼暗やみの中で一人枕をぬらす夜は/息をひそめて/私をよぶ無数の声に耳をすまそう/地の果てから 空の彼方から/遠い過去から ほのかな未来から/夜の闇にこだまする無言のさけび/あれはみんなお前の仲間達/暗やみを一人さまよう者達の声/沈黙に一人耐える者達の声/声も出さずに涙する者達の声
▼あやまちは誰でもする/つよい人も よわい人も/えらい人も おろかな人も//あやまちは人間をきめない/あやまちのあとが人間をきめる//あやまちの重さを自分の肩に背負うか/あやまちからのがれて次のあやまちをおかすか//あやまちは人生をきめない/あやまちのあとが人生をきめる
若松は「詩人は《いのち》の発見者であり、守護者であるだけではない、それが失われようとする時代にあっては、真摯な警告者にもなる」と寄せた文に記している。
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by inakasanjin
| 2023-11-24 09:00
| 文学つれづれ
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2023年 11月 17日
ウッドスタートからウッドエンド
木の国、日本は森林大国と言われてきたが、国民が、ようやく木の良さを木によって気づかされてきたようだ。2011年、東京の新宿区が長野県伊那市と提携して「木のおもちゃ」を作り、赤ちゃんに配り始めた。幼児期から「木」づかいと「木」のそばで育てる「木育」活動が大切だとの考えだ。それをウッドスタートというようだ。
赤ちゃんが最初に出会うおもちゃが地元で育った「木」から作られたものであればいい、と山林を持つ全国の自治体は、地元の木工職人らとタイアップして地元産のスギやヒノキなどを使っておもちゃ作りをすすめる「木育実践」行動プランが広がり始めたようだ。2018年、ウッドスタート宣言は、全国40余の自治体が手を上げ、今後も増えてゆくようだ。木育は一石何鳥もの効果がありそうだ。木を見て森を見ず、と言うが、まず森を見て木を見る発想転換が必要のようだ。
赤ちゃんが遊ぶ木のおもちゃは、木の匂い、木肌の優しさ、木のぬくもり、木の音、木目のゆらぎ、軽さや重みなど、まさに子どもの五感を刺激する。赤ちゃんの時から木のおもちゃに触れさせることで「木」がつつむ豊かな感性を感じとれる人に育つと言われる。
私たちは、危険のない「積木」の良さを忘れ、ないがしろにしていたようだ。もう一度、木を積んで遊ぶ積木はもちろんだが、自由な発想の木造り作品を地産地消で造り、広げる行動を進めることが必要であろう。木で創れるおもちゃは無限にあるようだ。
森の中を歩く森林浴がある。森に入ると木の匂いがあり、香りが漂う。懐かしい感覚の瞬間である。それを忘れて時を過ごしてきたような気がする。木の匂いは、記憶を呼び覚ます効能があり、木のそばで眠ると疲れもよく取れるなど不思議な効果を発揮するそうだ。まず樹木のそばに立ち、触れ、嗅ぐことから始めよう。とにかく、時折、自然の中に身を投げ込むことが大切だろう。藪を知り、藪を歩いてみるのもいい。大地の匂いがする。
木の良さを五感で感じ、地域の木材を使って、森と暮らしを繋ぎ育む言葉の「木育」は2004年から使われ始めた。赤ちゃんが生まれて初めて触れるファーストトイが木でウッドスタート開始。スタートがあればエンドがある。葬儀の棺は木で、現在、中国産の木材使用が多い棺桶。やはり生まれた国の木に包まれての旅立ち「ウッドエンド」がいいと思う。郷土の森林組合も「ウッドスタートからウッドエンド」の取り組みを始めて欲しい。
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by inakasanjin
| 2023-11-17 09:00
| 田舎日記
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