2026年 01月 15日
へいちく物語① 赤字ローカル線から再スタート

福岡県東部、京築地方の中核として栄えてきた行橋市。
行橋駅を発車したレールバスが、ホームから遠ざかる。
空席が目立つ車内の前方に、痩せた初老の男がひとり、
車窓に広がる長閑な光景を感慨深げに眺めていた。
車輌から発せられる懐かしい音と心地よい振動。
男にはそれが、呟きのように感じられた。
* * *
・・・コトコトコト、コトコトコト。
あーぁ・・、ボクは、どうなるんだろう・・・。
昔は、あんなに多くの人がボクを利用してくれていたのに、
今はこのとおり。経営が厳しいボクを、どうしていくのか、
現在、今後の方針を決める話し合いが行われているんだ。
ボクは、行橋から筑豊の田川や直方まで走る“へいちく”。
ちゃんとした名前は平成ちくほう鉄道。元々は、旧国鉄の
田川線、伊田線、糸田線で、大活躍していた時代もあったよ。
それは、筑豊に石炭産業が栄えていた頃の話で、貨物列車が
毎日数多く走り、戦後日本の高度経済成長を支えていたんだ。
あの頃は、沿線に多くの人達が住んでいて、朝夕は大混雑。
職場や学校に通うために、多くの人が利用してくれてもいた。
その後、炭鉱が閉山して、ボクの役割は徐々に薄れていった。
旧国鉄が民営化されてJRになって、赤字ローカル線として、
廃止されることが決まり、役割を終えることになりかけたんだ。
でも、ボクは当時、地域にとって、欠かせない存在だったので、
沿線の自治体等が第三セクターを設立して、経営を引き継いだ。
ワンマン運転のレールバス導入や駅の無人化等の合理化も実施され、
ボクは、平成元年10月に平成ちくほう鉄道として再スタートした。

そうそう、その頃、モモちゃんは行橋市役所の広報担当職員として、
カメラを担いで走り回っていたよね。そして、ボクのことも取材して、
広報紙で、その晴れ姿を特集記事として大きく掲載してくれたよね。
あの時は地域の期待を胸に、また走れるようになって嬉しかったなぁ。
みんながボクを利用しやすくするために、運行回数を大幅に増やし、
地域の要望を積極的に受け入れて、新しい駅を次々と誕生させたんだ。
その成果もあり利用者が増加。当時は明るい希望があったんだけどね。
モモちゃんはその後、平成6年に11年間勤めた行橋市役所を辞めて、
県立高校の教師になり、北九州市内に移り住みことになったんだよね。
それ以降、段々、ボクと疎遠になっていったよね。淋しかったなぁ・・。
* * *
行橋から二つ目の駅は美夜古(みやこ)泉駅。美夜古は平安時代の書物
に記されたこの地の呼び名。平成3年にその名を蘇らせた新駅が誕生した。
三つ目の駅は、平成2年に誕生した今川河童(かっぱ)駅。地域に伝わる
河童伝説にちなんだもので、住民要望が実現してユニークな駅名となった。
河童の像に見送られ、少し走ると豊津駅。ここは、国鉄時代からある駅で、
ここを過ぎると行橋市から、京都郡みやこ町の豊津(旧豊津町)に入る。
車内では、ゆっくりと時が流れ、へいちくは、様々な思いを呟き続けた。
(次回へとつづく)

※平成ちくほう鉄道はJR田川線(26.3km)、伊田線(16.1km)、糸田線(6.8km)を平成元年10月に受け継ぎ第三セクターとして発足。新聞報道によると利用者はピーク時の4割まで減少し28期連続で赤字を計上。現在、存続をめぐり県が設置した法定協議会で鉄道維持やバス転換などの案が示され、今年3月までに方針が決まる予定。
2026年 01月 01日
ウィッシュ
“そうです。ボクは、描いていません。
ボクの手が描いています。
おかしな事を言うものだと思わないでください。
その通りなんですから”
手にした絵画展のチラシに、そう書かれていた。
うーん、なるほど。ウイッシュらしい。
先月、ウイッシュのオートマチズム作品展を訪れた。
オートマチズムとは、シュルレアリズム(超現実主義)の
画家達が、心の奥底に眠る世界を描き出そうとして始めた技法。
心の声や叫びを、そのまま素直に表現していこうという芸術だ。
ウイッシュとは、鹿児島県の種子島で生まれの坂口雄二先生のこと。
彼は福岡の県立高校で共に汗を流した先輩で、美術の教師。
型破りで個性溢れる坂口先生は人気者で、周囲に生徒が集まってくる。
気さくな先生は、“オッス”と、かっこよく声をかけたつもりだったが、
生徒には“オイッシュ”と聞こえ、それを契機にウイッシュと呼ばれ始めた。
Wish(ウイッシュ)の訳は、願い・希望。温かい響きを感じさせる単語。
日々、生徒の成長を願っている、坂口先輩にふさわしいニックネームだ。


会場でウイッシュの絵画を眺めていると、不思議な世界に引き込まれていく。
また、ウイッシュの活動は絵画だけではなく、時に人権コンサートも行う。
生徒や地域の集会に奇抜なギターを抱えて登場し、ステージの背景には自画像。
人権について、難しい話をせずに、人生観や失敗談をさらりと語り、懸命に歌う。
ウイッシュらしい温かいコンサート。思いに共感した会場から拍手がわき上がる。
ウイッシュが、心を込めて作った歌に、こんな歌詞がある。
“ぼくとぼくと 一緒に遊ぶもの この指とまれ
ひとりでひとりで ないているもの この指とまれ
世の中のことが すべていやになり
生きるすべをなくしたもの ぼくのぼくのこの指とまれ”

いつもエネルギッシュで、パワー溢れる坂口先生は今月で、74歳。
一見は変なおじさん。いや、お爺さんだが、校門をくぐり生徒の前に立つと
ウイッシュに大変身。絵筆やギターを武器に、教壇に立ち続け、
日々、生徒と必死に向きあっている。すごーい。本当にすごいことだ。
同じ教育現場に身をおく一人として、坂口先輩は尊敬すべき存在。
これからも、ずっと生徒に慕われ、ウイッシュと呼ばれ続けてほしい。
モモちゃん先生も、ウイッシュ先生に負けないように頑張らなければ・・・

* * *
あけまして おめでとう ございます。
このブログを担当して、2回目の新年を迎えました。
毎回、駄文を読んでいただき、ありがとうございます。
ちっぽけで浅はかな思惟。とりとめもない呟き。
ではありますが、誰かの胸に、何かを届けていきたい。
これからも、そんなWish(願い)で、呟いていきます。
今年も、よろしくお願いします。
2025年 12月 15日
めぐみちゃんと早紀江さん
その時、私は9歳で、記憶は48年前で止まっています。
想い出の中でしか会えない姉はずっと中学1年生のまま。
自宅から1分程の場所で拉致されたと推測されます。
どんなに恐ろしかったか、怖かったか・・。
きっと「お父さん、お母さん。助けてー」
と船底で、泣き叫んでいたに違いありません。
もう時間がない。一刻も早く救出してほしい”
今も、拓也さんの必死な訴えが耳に残る。

先日、『拉致問題を考える。みんなの集い』に参加させてもらった。
当時、中学1年生だった横田めぐみさんが、学校からの帰宅途中、
北朝鮮当局の工作者によって拉致され、祖国から引き離された。
集いでは、めぐみさんの弟で拉致被害者家族連絡会(家族会)代表・
横田拓也さんが『北朝鮮よ、姉横田めぐみを返せ』と題して講演。
冒頭に、私の話は北朝鮮への怒りにみちたものになると思いますが、
それは為政者への怒りであって、在日や北朝鮮で暮らす方々への偏見
や差別に繋がってはなりません、と前置きをした上で、話をはじめた。
当初は、家出や事故等として扱われ、拉致とは考えられていなかったが、
その後、様々な証言の中で、北朝鮮の国家的な関与が明らかになっていく。
拉致という非業は、絶対に許されない北朝鮮の国家的な犯罪であり、
そんな国家が核兵器の開発や実験を行うという、恐ろしい現実もある。
現在、日本政府が正式に拉致被害者と認定しているのは17名だけだが、
実際には数百人規模の被害者が存在するのではないか、と拓也さんは推測する。
2002年の日朝首脳会談で、否定し続けていた北朝鮮が拉致の事実を認め、
被害者5人が24年ぶりに帰国できたが、めぐみさんは死亡との通知を受けた。
しかし、送られてきた遺骨からは、めぐみさん以外のDNAが検出された。

1997年、拉致被害者の一刻も早い帰国を目指して家族会が結成された。
親世代が存命のうちに被害者の帰国を、と訴えて活動を続けてきたが、
現在、存命しているのは、めぐみさんの母親・横田早紀江さんだけとなった。
初代の家族会代表で父親の横田滋さん、有本恵子さんのご両親など、多くの
親世代の方々が肉親との再会を果たせずに、無念の思いでこの世を去った。
滋さんは生前、「めぐみが帰ってきたら、六本木に連れて行き、今の日本を
見せたい」と言っていた。また、早紀江さんは、“草原にめぐみと二人で
寝転びたい。只、それだけでいい”と、ささやかな願いを抱いているという。
また、拓也さんは“拉致は現在進行中の人権問題だが、時が経過していく中、
この問題を知らない世代が増え続けている。大人が若者に伝え続けなければ
ならない。親や先生が子供たちに伝え続けなければならない”と語っていた。
日々、教壇に立つひとりの人間として、しっかりと受け止めたい言葉だった。
12月10日~16日は北朝鮮人権侵害問題啓発週間。微力だが、私自身、
拉致問題の解決を願うブルーリボンを胸に、生徒に話をさせてもらった。
ゆく年くる年。大きな進展がないまま、時だけが過ぎていく拉致問題。
今年も残り僅かとなったが、閉ざされた扉を、どう切り開いていくのか。
簡単ではないだろうが、絶対に解決しなければならない問題である。
来る2026年は、唯一の親世代、横田早紀江さんが90歳を迎える
年でもあり、もう時間がない。確実にタイムリミットが迫っている。
めぐみさんと早紀江さん。親子二人が再会し、草原で只、寝転ぶ。
そんな、ささやかな夢が叶う新年を迎えたいものだ。


