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 生あるものに、やがてくる死を迎える運命を秘めた良寛禅師の辞世の句がある。


   散る桜残る桜も散る桜     良寛


 そして誰もが懸命に生き抜く中、人の世の慈悲を詠んだ、やはり良寛の「裏を見せ表を見せて散る紅葉」の句も遺る。まさに人間の真の姿をさりげなく詠んだもののようだ。さらに人間の〝素〟を見せる奥に〝秘〟が隠れているならば、大人の風格が備わるだろう。


 室町時代の世阿弥『風姿花伝』は、能の理論書であるが、人生論であり、芸術論でもあるといわれる。仏教で厨子の中に閉まって見せずにおく仏像は「秘仏」といい、どんなものかと、人間の想像を膨らませる秘の術ともいえるようだ。人生は〝秘〟が生きるカギになる。わが国の華道の精神で大切なことは、花を見せる事ではなく花を秘する事にあるという。

 千利休が、丹精込めて育てた庭中の朝顔を全て引き抜き、ただ一輪のみを座敷に添えて秀吉を迎えたという茶の湯も、また〝秘〟かもしれない。秘を諭す『風姿花伝』を追う。


   秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。

   この分け目を知ること、肝要の花なり。そもそも、一切の事、諸道芸にお

   いて、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるがゆゑなり。し

   かれば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり(略)

   人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。(略)――『風姿花伝」より


 人には〝秘すれば花〟があるようで、生きてゆく中〝秘〟を隠し抱く人の尊さを知る。


   夏袴秘すれば花と悟りたり         斎藤牧子

   峯峯の秘すれば早き紅葉かな        高橋睦郎

   これやこの秘すれば恋のうめもどき     神蔵器

   春惜しむ心秘すれば老いにけり       阿波野青畝


   何事もすべて露骨に曝けずに色即是空秘すれば花なり       佐藤一彦

   金沢に伝わるゆかしき影笛を聞くとき思う秘すれば花と      諏訪淑美

   そうでした秘すれば花で物干しに音のないシャツきちんとならべて 蒼井杏

   秘すれば花言わぬが花の習いとて言わねば残る無念もありぬ    馬宮敏江

 


# by inakasanjin | 2021-04-02 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)

朱子学か、陽明学か

 NPO仲間から「生き方は、朱子学か、陽明学か」と問われた。2つの学問を精査してみた。紀元前の中国で興った孔子を始祖とする儒学が朱子学と陽明学に派生したようだ。

 朱子学は、宋の朱熹(1130~1200)の教えで、自然や万物に上下関係があるように人間関係も差別があってしかるべき解釈。根本理念は。人間の心を性と情とに分けて「性即理」とした。また人の「知(知識・学問)」と「行(行動・実践)」は、知が先にあり、

後に行動があるとして「知」と「行」は別物の「先知後行」の考えを示した。そして礼をわきまえ敬(つつしみ)を持って主君に従うことを説き、日本では江戸幕府が朱子学を採用して保守体制を作り上げた。日本には元治元年(1199)に真言宗の僧・俊芿が中国から持ち帰ったとされるが、諸説あり。江戸時代に林羅山(1583~1657)によって再興されて「上下定分の理」など武家政治の基本理念として幕府の正学とされた。幕府にとっては「上の命令は絶対、下の者は従うのがあたりまえ」とする好都合の世になった。

 陽明学は、明の王陽明(1472~1529)が始めた学門で「万物一体の仁」として万物は根本が同じ、自他一体とみなす思想。基本理念は、人間の心と性を峻別せずに、心そのものが理に合致する「心即理」とした。また知ることと行うことは同じ心の良知(人間に備わる先天的な善悪是非の判断能力)に発する作用で分離できない「知行合一」とする。そして「知って行わざるは未だこれ知らざるなり」と朱子学とは違う学びは、江戸時代、元々、朱子学者だった中江藤樹(1608~48)とその弟子・熊沢蕃山(1619~91)によって広められた。藤樹が学の中心に置いたのが「孝」といわれ、親孝行はもちろん全ての人に与えるのが孝の本質と説いた。こうした陽明学に幕府も恐れて「寛政異学の禁」などの弾圧を行ったとされる。江戸から幕末にかけて「禁学」されていた学問は、大塩平八郎や松下村塾の吉田松陰、明治維新に活躍した西郷隆盛などに大きな影響を与えたようだ。

 こうして見てくると時代のカタチによって人の考え方も変わる。世の中のカタチも変わる。しかし、私たちは人間本来の姿を見つめて生きることが大事だろう。だとすれば、人として何をすればいいのか。何が正しいのか。何が良いか、悪いか、学ばずとも知っているだろう、心に忠実に生きて行けばいい、と説いた「陽明学」が問いの答えになるようだ。


# by inakasanjin | 2021-03-26 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)

 安政7年(1860)3月3日、雪降る中、江戸城桜田門外で水戸藩脱藩者(17名)と薩摩藩士(1名)が彦根藩の行列を襲撃して大老井伊直弼を暗殺した。世にいう「桜田門外の変」である。この事件は「十八烈士」による〝桜田事変〟とも呼ぶ。不思議なのは事件前日に井伊直弼は先を見通しているかのような歌を詠み遺している。さすが安政5年から江戸幕府の弾圧によって始まる「安政の大獄」指揮官だけのことはある。


  咲きかけて猛き心の一房は散りての後ぞ世に匂ひける  井伊直弼(46)


 井伊大老襲撃では、稲田重蔵(46)唯1人、現場で闘死。増子金八(59)は逃亡、病死し海後磋磯之介(77)は逃亡、改名し警視庁に勤務など二人は余命を全うした。他の烈士16名は、自刃、斬首、刑死、病死など〝義〟を詠んで亡くなった。遺された言葉を探す。


  磐鉄もくだけざらめや武士の国の為にと思ひきる太刀     有村次左衛門(23)=薩摩

  桜田の花と屍はさらすともなにたゆむべき大和魂       佐野竹之介(21)

  君がため思ひをはしり梓弓ひきてゆるまじ大和魂       鯉渕要人(51)

  ともすれば月の影のみ恋しくて心は雲になりませりけり    広岡子之次郎(21)

  君がためつもる思ひも天つ日にとけてうれしき今朝の淡雪   斎藤監物(39)

  いたづらに散る桜とや言いなまし花の心を人は知らずて    森五六郎(22)

  君が為思ひ残さむ武士のなき人数に入るぞうれしき      森山繁之介(27)

  故郷の空をし行かばたらちめに身のあらましを告げよかりがね 蓮田一五郎(29)

  国のためなに惜しむべき武士の身は武蔵野の露と消ゆとも   黒沢忠三郎(30)

  人とはばつげよ日かげの草葉にも露のめぐみはある世なりきと 関鉄之助(39)

  吹く風に此のむら雲を払はせてさやけき月をいつか見ましや  山口辰之介(29)

  今更に云ひがひもなき我国のかたきなりけりから国の船    杉山弥一郎(38)


 遺されているであろう言葉も、広木松之介(24) 大関和七郎(25)岡部三十郎(43)は探せなかった。それにしても元禄15年(1702)12月14日の吉良邸討ち入りの日も雪の日だった。世を糺す〝義挙の日〟は、偶然にしても真白な雪が降り積もる。歴史は繰り返すというが、赤穂義士も桜田烈士も日本人の心の奥底に永遠の〝義〟を生んだ。






# by inakasanjin | 2021-03-19 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)

とにかく凄い南谷真鈴

 美人スーパーガールが出現した。神奈川県川崎市出身。とにかく凄い一言に尽きる。

 早稲田大学ワセジョの南谷真鈴(みなみやまりん)さんだ。彼女は「いつ死ぬかなんてわからない、後悔するような生き方はしたくない」と、人間の「可能性は無限大だということを身をもって示したい」と実践行動の軌跡を若くして作った。今、20歳。で、日本人最年少の世界7大陸最高峰登頂を樹立、達成。若い女性の健脚で世界の最高峰に立ち、地球の南北の極点に印を残した。彼女が登り、歩いた地点を見る。驚きだ。


 2015年1月、南アメリカ大陸アルゼンチンのアコンカグア6959㍍登頂。

 2015年7月、アフリカ大陸タンザニアのキリマンジャロ5895㍍登頂。

 2015年12月、オーストラリア大陸のコジオスコ2228㍍登頂。

 2015年12月、南極大陸のヴィンソンマシフ4892㍍登頂。

 2016年1月、南極点到達。

 2016年3月、ヨーロッパ大陸ロシアのエルブルス5642㍍登頂。

 2016年5月、アジア大陸ネパール・中国のエベレスト8848㍍登頂。

 2016年7月、北アメリカ大陸アラスカのデナリ6194㍍登頂。

 2017年4月、北極点到達。


 彼女の名はマリンだが、香港にいた13歳の時、登山に挑戦しマウンテンの魅力に取り憑かれたようだ。既刊の『冒険の書』(山と渓谷社刊)と『自分を超え続けるー熱意と行動力があれば叶わない夢はない』(ダイヤモンド社刊)に人となりが詳述されている。

 世界7大陸最高峰ほかフランスとイタリア国境のモンブラン4810㍍、ヒマラヤ山脈のマナスル8163㍍、インドネシアのカルステンツ・ピラミッド4884㍍の登頂など世界の頂に立ち続けている。彼女の並外れたチャレンジスピリットに感服のほかない。

 3年近くでエクスプローラーズ・グランドスラムを達成した女性冒険家は「地球ってなんて美しいんだろうと感じた」と語り「私の記録達成の姿を見て若い人や学生が自分の夢に向かうことにつながればいい。とにかく家に帰ってベッドで寝ることができる」と世界〝制覇〟を振り返った。恐るべし、真鈴。これから世界の海(マリン)へ挑戦ようだ。



# by inakasanjin | 2021-03-12 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)

3・11と3・22

 マグニチュード9・0の大地震、加えて津波、原発のトリプル災害、東北地方を中心に想像を超える悲惨な大災害が発生、混乱が続く。自然の猛威に飲まれた、人間は、呆然と立ち尽す、そして我に返り、1歩1歩、前に歩み始める。世界の人々は、死者・不明者が3万人近い被災地に、生きるパワーを送り続けてくれる、その想いを、ひとり一人が受け止め、心に抱いての動きが始まった。

 東日本大震災は、2011年3月11日、午後、突然、発生した。大きく傷ついた心は、癒えないだろう。

 12・8パールハーバー、8・15終戦記念日、1・17阪神・淡路大震災、9・11アメリカ同時多発テロ等と同じように、3・11大震災は歴史の日になった。

 震災騒動の続く3月22日、孫のリュウに、突然、恐怖の病魔が襲った。朝、リュウの顔が黒ずんでいた。症状を見たクリニックの先生は「様子が悪い」と、すぐに救急車を手配、国立小倉医療センターに搬送、Y先生らによる緊急措置が施された。そこで告げられた病名はスティーブンス・ジョンソン症候群だった。皮膚粘膜眼症候群と言う、聞きなれない病名に耳を疑った。原因は主に薬の副作用からだ、恐ろしい病気で100万人に1人、という難病、それもリュウは重症患者だった。

 顔やからだ全体が火傷症状になり、皮膚が剥がれる、そんな恐ろしい状態が続いた。22日は国立小倉、翌23日朝、ドクターヘリで九州大学病院救命救急センターのICUに移された。1分1秒を争う容態に変化した。

 家族が集まり、皆、神に祈った。時間との戦いは3日間と言われた、その時「みんなのパワーを送ります」と、稗田小3年の同級生の「手紙」が届いた。担任M先生の配慮だ、ママが、意識のないリュウにそれを読み、友のパワーを送り続けた。これは夢、夢であってほしい、と願った、が、現実だった。一命は取り留めた。災害では、自然の怒りに、何も出来なかった、3・22孫を奇襲した薬害の怖さに声も出なかった、今、快復し続けるリュウに、人間の脆さと、生きる力の凄さ、尊さ、を教えてもらっている。

 突然の激災と激病に、言葉は、無い、祈るのみである。 


# by inakasanjin | 2021-03-05 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)