2023年 04月 21日
珍でおもろい土地あるわ
全国には珍しい地名が盛りだくさん。まず「日本国」は山形県鶴岡市・新潟県村上市にあり「倭(やまと」」も鳥取県南部町にある。そして「日本一」は福島県郡山市にある。さらに「天皇(てんのう)」は香川県まんのう町に「皇后崎(こうがさき)」は福岡県北九州市とくれば「太子町(たいしちょう)」の大阪府・兵庫県太子町、愛知県瀬戸市に繋がる。まだあるが、とりあえず「御免(ごめん)=高知県南国市」して、面白い名を追ってみる。
さて旅人(たびうど=福島県いわき市)になって昼寝山(ひるねやま=香川県さぬき市)のあと、金玉落しの谷(きんたまおとしのたに=静岡県菊川市)を覗き、女体入口(にょたいいりぐち=長野県駒ケ根市)や美人ケ谷(びじがや=静岡県掛川市)、女の都(めのと=長崎県長崎市)で、乳房山(ちぶさやま=東京都檜原村)に登り、女の湯(めのゆ=東京都奥多摩町)に浸って、まさかの女体(にょたい=栃木県鹿沼市)に女化(おなばけ=茨城県牛久市)で腰巻(こしまき=岩手県岩泉町)女官(にょかん=岡山県井原市)に出会い、楊貴妃(よきち=熊本県天草市)や美郷恵美子(みさとえびす=徳島県吉野川市)と処女湖(しょじょこ=滋賀県高島市)で泳ぐ。
浮気(ふけ=滋賀県守山市)ない美談(みだみ=島根県出雲市)を残したいが、猫ノ目(ねこのめ=石川県羽咋市)の世で快楽(かいらく=佐賀県神埼市)なしの顔好(かおよし=山形県大江町)だけで、そんな珍事(ちんじ=京都府京都市)は風呂屋前(ふろやまえ=滋賀県大津市)の五味(ごみ=宮崎県日之影町)話で終わる。それは休息(きゅうそく=山梨県甲府市)の極楽(ごくらく=愛知県名古屋市)寸話として上下(じょうげ=広島県府中市)左右(そう=福井県越前町)東西(とうさい=佐賀県佐賀市)関係なく、ただ地方(ちほう=広島県広島市)の地名(じな=静岡県川根元町)一口(いもあらい=京都府久御山町)として、がっかり島(岩手県宮古市)で伝わるかもしれない。
それに鹿児島県志布志市志布志町志布志や佐賀県大町町大町上大町などの地名も生まれる。究極、人間は寿命(じゅみょう=福岡県桂川町)で礼拝(らいはい=新潟県西山町)対象の先祖(せんぞ=山梨県上野原市)になる。星の糞(ほしのくそ=静岡県御前崎市)とは何か知らぬが、人間、生きている間は、糞、尿(=ばり)をする。で、尿田(ばりだ=山形県鶴岡市)もある。所詮「ノミシラミ馬のバリする枕元 松尾芭蕉」かもしれない。
2023年 04月 14日
一文を「ことわざ」で綴ると
文に関する「ことわざ」に「文は人なり」「言葉は身の文」「急ぎの文は静かに書け」「手書き有れども文書きなし」などがある。無尽蔵と言っていい言葉の海で、50音順の「あ」から「わ」に沿って並ぶ「ことわざ」言葉をつなげてみたらどうだろう、で、おのおの収録された「ことば」を1つ選んで綴ってみる。こんな言葉遊びもいいものだ。
あるところに「ああ言えばこう言う」人がいて「「石の上にも三年」だとか「氏より育ち」だといい「江戸の仇を長崎で討つ」と「鬼の首を取ったよう」に振る舞う。
それは「飼い犬に手を噛まれる」のではなく「九死に一生を得る」にしても「口も八丁手も八丁」の輩であれば「怪我の功名」ともいえまい。
やはり「転ばぬ先の杖」を持ち「先んずれば人を制す」ように「朱に交われば赤くなる」ことなく「酸いも甘いも嚙み分ける」者として「青天の霹靂」を与える「総領の甚六」の度量を示すのがいい。
いつの世も「大山鳴動して鼠一匹」だが「塵も積もれば山となる」ように「爪に火を灯す」生活で「出る杭は打たれる」ことのなきよう「遠くの親戚よりも近くの他人」を頼り「名を取るより実を取れ」ばいい。そこで「煮え湯を飲まされる」としても「糠に釘」で「猫を被る」ことに徹し「残り物に福がある」ことを願い続ければ「花より団子」になる。
さて「火のないところに煙は立たぬ」が「風前の灯」もあるようだ。なので「下手の考え休むに似たり」で「仏の顔も三度」だし「馬子にも衣装」というから「身から出た錆」とならぬよう「昔取った杵柄」で「目には目、歯には歯」の心意気で向かえば「元の鞘に納まる」ことになるだろう。
そこで「藪から棒」だが、いつも「油断大敵」の姿勢でないと「弱り目に祟り目」になりかねない。やはり「楽は苦の種、苦は楽の種」を味わい「両手に花」にはならなくても「類は友を呼ぶ」ことになり「例によって例の如し」となる。
ただ「論語読みの論語知らず」としても「渡る世間に鬼はない」と思うことにしたい。
こうして「ことわざ」をつないで見ると、それなりの文になった。本来「ことわざ」は「こと」の言葉と「わざ」の神業などの「ことば」で成り立っている。まさに、お互いの言葉の「わざ」が、巧く、引き合ったのだろうか、上手く纏まった。やはり「ことわざ」は、人を動かしたり、勇気づけたり、正しい道へ導くなどの魔力を持っているのだろう。
2023年 04月 07日
間(ま)のとりかた
家の建設現場に掲示されている「!の家」表示が気になっていた。人生いろいろとは云うものの、気になることは、お互い、気が繋がるのか、その気にならなくても、気づいたらいつの間にか、気の合う状況になっている、不思議なものだ。
と言うのは「!」会社代表の無料メルマガ配信に「ひょんなことから」たどり着く。ひょんなことは置くとして、西日本建設㈱の尾崎一徳(一級建築士など資格多数)さんのメルマガだった。彼は「住宅のことを本気で考える365日」なるものの配信を毎日続けている。家や暮らしのことなどを短文にまとめた内容だ。
生活に役立つものが多い。ある日、これは、さすが建築士さんだと思った。家の玄関を入ると「土間、板の間、畳の間、床の間、仏間と段々に床が高くなっていきます(いました)。これが日本式の、空間:間、の考え方です。床の高さが上がるごとに、格式が上がっていく、イメージです。ところが、この段差が、バリアフリーという概念に合致しません。(略)バリアフリーという概念自体が日本建築にしてみれ
ば間違い、間抜け、間が悪い、といった考え方であることもご承知おきください」とある。それで、尾崎さんは「今までに見たことがない家に関する斬新な提案」の意味合いを込めて「!」だそうで、この工法は特許申請もしているようだ。今後の家づくりで、客間、応接間、仕切り、段差も含め、家の間、をバリアフリーの中で、いかに間合いをとっていくか、注目していきたい。
日々の生活の中で、間は本当に大事なものだ。ヒトとヒトとの間、付かず離れずの頃合いが一番いいようだが、武道の間合いは勝負を左右するし漫才、落語で一番難しいのは喋りの間だと言われる。私たちはいろんな間の中で暮らしていることがわかる。
尾崎さんのメルマガは、1日、1日、家への思いを込めた1ポイント指摘になっている。これは貴重であり、有り難い。家と人との間を行ったり来たりだが、見方変えれば、生活の隙間を埋めるカンフル剤になっている。
ずばり、間、をテーマにしたギャラリーが東京南青山乃木坂にあるようだ。1984年オープンの「TOTOギャラリー間」で建築とデザインの専門。これは人間、時間、空間の日本特有の概念を表す「間」を名にしたと言う。1度、覗いてみたい。
2023年 03月 31日
昔「いま塾」で遺された言葉
昭和59年(1984)、福岡県行橋市の有志によって「豊の国のムラおこし活動家」を招いて話を訊く「いま塾」が開かれた。行橋市社協に勤める熱血青年の緒方誠二塾長(若くして逝った)が中心になった。多くの市民と「地域おこしの実践」を聴いた。
春風から薫風への季節、さわやかな風が吹きぬける神社拝殿が会場だった。
講師は、大分県の緒方町の渡部幹雄さん(4月―行橋市前田・清地神社)、宇佐市の高橋宣宏さん(5月―元永・須佐神社)、湯布院町の溝口薫平さん(6月―下稗田・大分八幡神社)だった。会場で「こういう気持ちのよい神社での講演会は珍しいですね」と溝口さん。
ムラおこし原点の大分県の活動家だけに、話はリアリティーに富み、アイデアも豊富、そしてユニークなきりぬけ方を聞いてビックリ。とにかく3人とも、ムラおこしを意識しないで「楽しんで動く、明るさが必要」を説いた。
5つのヒントも提案された。①わかりやすいテーマ設定、②ムラおこしには段階がある、③地域のことは地域に聴け、④個性のあるもので勝負、⑤歴史の掘りおこしが大事、である。なるほど「ムラおこし」は簡単なのだ。
3人が遺した言葉を追ってみる。40年近い月日が流れているが、言葉は生きている。
★ともかく燃えろ!
人が燃えないから活動できないと他人(ひと)のせいにするな。
燃えない人を燃やすまで、自分が燃えろ。 ―緒方町・渡辺幹雄
★ふるさとによって育てられた私たちが、
ふるさとに還元していくことは義務であり、責任でもあると思う。
ふるさと愛というのは人間の本能じゃないかな ―宇佐市・高橋宣宏
★親が行橋はつまらんと、いつも言っているのを聞くのは子供たち。
親がつまらんと言っているところに、帰ってこい、とか、残れ、
とか言ってもそれは無理。やはり、良い街なんだ、誇れる街なんだと、
一人ひとりが、いいまちの語り部になることですね。 ―湯布院町・溝口薫平
それぞれ印象深い話をされた。後日談だが、高橋さんは当時「花の独身」で、後に結婚された。彼は、引き出物に「ムラおこし」と書いた「粟おこし」を贈られたといわれる。
2023年 03月 24日
詩人の「短詩」を捜して見る
日本の文学は短詩形文学といわれ、和歌をはじめ連歌、連句、長歌、短歌、俳句、狂歌、狂句、川柳など「短い言葉」が生活文化にある。歌人、俳人、川柳人と「短文学」の裾野は幅広い。日本人は巧みな言葉を紡ぎ出す。美しい短い言葉(詩)を捜して見る。
作家の吉川英治(1892~1962/神奈川)と横綱・双葉山(穐吉定次1912~68/大分)の逸話がある。大相撲が年2場所時代、昭和11年(1936)1月から14年1月までの間、双葉山は「69連勝」の記録を作った。記録更新中、双葉山は親交の深い吉川に「先生、何か、書いてください」と頼むと、吉川は頷いて「江戸中でひとり淋しき勝角力」と書いた。横綱は、それを、じっと見つめ、大粒の涙を流した。勝者の孤独と哀しみを見つめる言葉に心打たれ涙した。詩を紡ぐとは、究極の生き方を語ることだろう。
詩人らの「短詩」いわゆる素直に「短い詩」で、遺されたいくつかを捜して見る。
萩原朔太郎(1886~1942/群馬)
人が家の中に住んでいるのは、地上の悲しい風景である。 ――「家」
荒井星花(1887~1942/茨城)
夏の日盛りに/鳳仙花がぱちり/はじけたら//
向日葵が/黙って笑っていた ――「鳳仙花」
三好達治(1900~64/大阪)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 ――「雪」
草野天平(1910~51/福島)
これが秋なのか/だれもいない寺の庭に/銀杏の葉は散っている ――「秋」
寺山修司(1935~83/青森)
なみだは/にんげんのつくることのできる/一ばん小さな/
海です ――「一ばんみじかい抒情詩」
詩は、一言が生きもすれば死にもする、みじかければ短いほど大事。たぶん世界一短い詩であろう草野心平(1903~88/福島)の「冬眠」は「●」の一字だけである。