2025年 04月 15日
春の景色とウォーキング
よっし、また今日からスタートだ。
周囲がまだ薄暗い早朝の5時半頃。
玄関を飛び出し、自宅周辺を30分ほど歩く。
健康維持のために三年前に始めた朝のウォーキング。
ずっと続けていたが、ここ数ヶ月は歩いていない。
中断理由は“寒い暗闇を歩くのは危険で心臓にも良くない”との
周囲からの忠告。一応、それを大義名分にしていたのだが、
寒いので布団から出たくない、という意志の弱さが本当の理由。
しかし、春が来て大義が崩れ去り、ウォーキングを再開した。
自宅を出て、月明かりの中を歩いていると、夜が明け始める。
雲が赤く染まり、淡い光が空を照らし始め、広がっていく。
いよいよ、本格的な春が到来した。
道端のあちこちで、草花が芽吹き、可憐な花を咲かせる。
菜の花の黄色い絨毯が河川敷を埋めつくし、
咲き誇った桜の花とのコントラストが眩しい。
また、街角の日常生活の中にも、春の風景がある。
大きなランドセル、真新しい制服やスーツ姿。
多くの一年生が、新しい一歩を踏み出すシーズンでもある。
そんな春の一日。神妙な思いで、ハンドルを握り40分程。
北九州市内にあるファストフード店に車を止めた。
そこは、昨年12月に塾帰りの女子中学生が刺殺された現場。
幹線道路沿いにあるこの店舗。何度も通り過ぎていたが、
一度、ゆっくりと立ち寄り、手を合わせたいと思っていた。
事件当時はワイドショーなど、注目を集めた現場周辺だが、
現在は、何もなかったかのような静かな佇まいだ。
店内に入り、珈琲を飲みながら窓の外に目を移すと、
直ぐ近くを、都市モノレールが走り過ぎていった。
被害に遭った少女は中学三年生。事件がなければ高校生として、
新しい制服に身を包み、モノレールで通学をしていたのかも……。
その無念さ。そして、ご家族の心中を察するに余りある。
若い命を奪い去った許されない事件。心からご冥福を祈りたい。
喜びと悲しみ。希望と落胆。
いろんな方が、様々な思いで迎えたであろう新年度。
私自身は、これまでと同様に公民科講師として、
高校の教壇に立たせていただけることとなった。
再び、有り難いご縁をいただいたことに深く感謝。
早朝のウォーキングの後、急いで朝食を済ませて
学校へと向かう、という慌ただしい生活が続く。
生徒と向き合うことへの喜びと責任。
学校に通えること、生きていることの喜びや大切さ。
そんなことを感じてもらえる授業ができれば……。

2025年 04月 01日
アクセス1万回突破に感謝
2025年 03月 15日
卒業式と魔法の言葉
私が講師を勤める高校でも卒業式が行われ、
230名の若人達が学舎を巣立っていった。
式辞の中でS校長は人生訓として、五木寛之氏の『大河の一滴』
の一節を披露した後に「人生は順風満帆の時ばかりではない。
諦めずに前向きに最善を尽くし、さらなる飛躍をとげてほしい」
と母校の後輩達へ最後のメッセージを贈った。

式終了後、恩師と保護者の拍手の中、退場していく卒業生。
目に涙を浮かべながら、照れくさそうに胸を張る者もいた。
疾風怒濤の青春時代を共に過ごした級友や学舎との別れ。
学校生活で芽生えた友情。部活や学校行事で流した汗と涙。
目標に向けての挑戦と挫折。思い通りにならない苛立ちや怒り。
泣いたり、笑ったり。いろんなことがあった三年間。
貴重な日々を思い浮かべながらの卒業式だったに違いない。
この日、生徒達を見送った三学年の先生方の目にも涙。
後輩教師に慕われ、生徒を見守り続けたK学年主任。
様々な思いを抱いての卒業式。真心溢れる学年運営だった。
また、日々、生徒と必死に向き合った若き担任達。
還暦を過ぎたベテラン教師も見事に担任の職責を果たした。
生徒を預かり、重い責任を背負いながら卒業式を目指す。
途中、思い通りにならないことも多く、ヒヤヒヤの連続。
みんな、気力・体力を振り絞っての毎日だったに違いない。
そんな教師にとって、最後のHRは喜びと感動のひととき。
巣立っていく生徒が発してくれる「先生、ありがとう」は、
これまでの全ての苦労が報われる魔法の言葉となり、
その感動を胸に刻み、再び新しい一歩を踏み出していく。

私自身も教師として多くの生徒の巣立ちを見送ってきた。
若気の至りで大声を張り上げ、生徒と向き合った若き教師時代。
未熟な教師だったが、周囲の先生方に助けられ、生徒からも学んだ。
教師は生徒を教えることが仕事だが、生徒から教わることも多い。
「子供に大切なことは……」「学校のあるべき姿は……」等と
評論家や世間は勝手なことを言うが、理想論なら誰でも言える。
しかし現場は、理想論ではどうにもならず、特効薬は存在しない。
解決策は信頼関係を築き、一人一人と向き合い地道に対応すること。
約束が破られ、期待を裏切られても、生徒に寄り添うことが求められる。
しかし、そんな神様のような所業を人間である教師にできるはずがない。
だが、そうあろうと努力し、日々悩みながら生徒と共に成長していく。
だからこそ、巣立つ生徒が最後に発する「先生ありがとう」は魔法の言葉。
私が長年、教師を続けられたのは、この言葉のお陰かもしれない。
卒業や退職、異動等、身近な人と離ればなれになるこの季節。
「ありがとう」「お世話になりました」「お元気で」の言葉が交わされ、
いろんな場所で、いろんな思いで、いろんな別れがあるのだろう。
そして、送る方も、送られる方も、4月からは新たな日常が動き始める。
人は皆、自分で生きなければならないが、いろんなご縁で生かされている。
自分一人の力だけでは生きていけない。だが、頼りすぎても生きていけない。
順調や成功が続けば時に傲慢となる。人は失敗から多くを学ぶことができる。
大河の一滴としての自覚と誇り、志を持って、他の一滴と共に大海へ。
濁る日もあろうが、臆することなく堂々と、されど謙虚に細やかに流れたい。