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1.17

街を燃え尽くす炎。崩れ去ったビル群や高速道路。
ショッキングなテレビの映像を見つめながら、
地震の恐ろしさを実感させられた1995年1月17日。
ボランティアの重要性が叫ばれたのも阪神・淡路大震災からだった。

震災の翌年、私は生徒とともに被災地を訪れた。
当時赴任していた小倉東高校野球部が、春の選抜甲子園に出場。
その際、生徒会顧問だった私に生徒からの提案があった。
“野球部は甲子園で頑張る。
応援に行く私たちも被災地のために頑張りたい”

野球部は1回戦で勝利。
その帰路、生徒会役員と吹奏楽部員40名ほどで、

神戸市の六甲アイランドにあった第五仮設住宅を訪ねた。
生徒達が集めた義援金を手渡し、一緒に花を植えた。
吹奏楽部も心をこめた演奏をし、涙を流しながら聞き入る被災者たち。
演奏する生徒も目に涙を浮かべていた。
数日後にあった甲子園での2回戦。
スタンドに被災者10数名が駆けつけ、
共に校歌を歌い、一緒に大声援を送ってくれた。

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それから数週間。仮設の自治会長Yさんから、便りが届いた。
“あれから、1年3ヶ月。
悲しいことに世間では、あの震災になっています。
復興できる人とできない人の差が広がり、仮設に残る七割が高齢者。
残る人たちの心の支えは、『自分たちは忘れられていない』
これだけだと思います。
遠く北九州から神戸にエールを送って下さった。
皆さんのお小遣いから義援金を持ってきて下さった。
私達を見捨てていない…。本当にありがとうございます。
天災だから、しゃあないなぁ…。
開き直ってこれからのことを考えます”

便りを契機に、交流は仮設住宅が閉所されるまで続いた。
この間、生徒会は義援金を数度送り、被災者を文化祭に招待した。
美術部は復興への願いを込めて大きな絵を描き、仮設住宅に届けた。
集会所の中央に掲げられた希望の絵は、ずっと被災者を励まし続けた。

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その後の東北や熊本、そして昨年元旦からの能登半島。
1.17と同様の映像を見て、仮設での涙を思い起こした。
現在も、多くの被災者が癒やせない心の傷を抱え、
能登では未だ、平凡な日常が取り戻せていない。
被災地の一刻も早い復興と心の平穏を祈りながら、
もう一度、Yさんからの便りを読み返してみた。

あれから30年……。
被災者を忘れてはならない。
被災地を見捨ててはならない。
若き教師時代。被災者と生徒の涙から大切なことを教わった。


by inakasanjin | 2025-01-15 10:00 | Comments(0)