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道なくて―夭折女百姓歌人


 ことばで命を繋いでいてもプッツリと切れる時もある。群馬県利根郡月夜野町(現みなかみ町)で生まれた石田マツ(1934~57)もフッと逝った夭折の百姓歌人といっていいかもしれない。大峰山の麓で電気なく、水も湧き水という貧しいランプ暮らしだった。幼いころから4人弟妹の面倒を見つつ農作業を手伝った。中学2年修了後、季節労働、土木工事などに従事する貧困生活が続いた。
 そんな中、歌が彼女の生活を救っていた。雑誌「葦」歌選者の信夫澄子に認められ「人生手帳」や「新日本歌人」にも投稿した。歌を掬う。

    二反五畝で七十四枚の我が家の田山坂越えて八ケ所にあり
    土に生き土に死にゆくと心きめ今日もはげめと地下足袋をはく
    いつの日か電気をひかんと思いつつ野良より帰りランプを灯す
    ああ我も電気とラジオのある家で十日でいいから生活してみたい
    くたくたに疲れて帰る細道に春告げる白梅二つ咲きおり
    歌を詠み本読み日記書いたとて何になろう百姓の吾に
    くよくよせずに働こうとある信夫先生の文いくたびもいくたびも読む
    死ぬまでに一度でいいから母つれて東京見物してみたい
    私が死んだらねえ母よあのお墓の柿ノ木の下に埋めて頂戴
    百姓人夫女中季節労働者とこれが吾二十三年の歴史

 彼女は信夫先生から「日記帳」を贈られた後、毎日、その日記に「師への手紙文だとの思いで日々の雑感」を綴った。246日間、高崎観音で自殺する前日まで記した日記だった。死後、信夫先生は、それを『道なくて―自殺した乙女の日記』(光和堂)として刊行した。
 ただ不思議なのは、同郡内の川場村出身で、女啄木といわれた薄幸の歌人・江口きち(1913~38)についての記述が一切ないことである。彼女も貧困の中で「大いなるこの寂けさや天地の時刻あやまたず夜は明けにけり(辞世)」など心打つ歌を詠んでいたが、知的障害のある兄と青酸カリを飲んで服毒自殺。マツは先行きを見通していたのだろうか。マツの地元の茂左衛門地蔵尊千日堂境内に建つ歌碑は優しくて悲しい響きのことば、だ。

    どこにいても真面目に働けば青空と人の情けはわれに美し

by inakasanjin | 2024-02-16 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)