2023年 07月 07日
アロハシャツは日本人の技
ハワイと言えばアロハと答える、ほど浸透している「アロハシャツ」は日本人の技が生んだハワイ土産の傑作と言えそうだ。Aloha(アロハ)はカラフルな色彩で染め上げた開襟シャツで、好意、愛情、慈悲などの意味を持つと言われる。起源は諸説ある中、日本の和服から派生したとの説が有力。アロハシャツの誕生を追ってみることにする。
1885年(明治18)明治政府へのサトウキビ栽培の労働力要請に応じて「官約移民」として多くの日本人が一獲千金の夢を抱いてハワイに渡った。農園で働くハワイ移民は、木綿絣に似た作業着のパカラ(ヨーロッパの船員らが着る開襟シャツ)を愛用した。
1904年、東京出身の宮本長太郎はハワイで反物を使ってシャツを作る会社を創業しシャツ作りを続けたが、15年に他界した。その後、長男の孝一郎が後を継ぎ、35年に服飾店「ムサシヤ・ショーテン」から着物をパカラ風に仕立て直した和柄のシャツを「アロハシャツ」と銘打って売り出し、新聞に大広告をうった。店は一躍有名店になった。
アロハシャツの生地は、当初、シルク、レーヨンが主流だったが、やがてポリエステルに代わった。ただボタンはヤシの木か実の製品を用いることに拘った。ただ生地を精緻に染める工場が、まだハワイには無かったのでアメリカ本土や日本からの輸入に頼った。時が経ち、50年代になると、ハワイは砂糖、パイナップルに次いでシャツ生産のアパレル産業が盛んになり、アロハシャツの黄金時代を迎えた。シャツのデザインも工夫が凝らされた。
ハワイの伝統的なお祭りイベントでは、アロハウィークとしてアロハシャツを着て働くことが認められ、オフィスやレストラン、各種式典や冠婚葬祭でも着用が許されるなど「ハワイでは男の正装」としてアロハは認知されるようになった。さらにリゾートウェアーというより〝民族衣装〟として扱われた。そして日本では「東洋のハワイ」と自称する地域では、自治体職員らがアロハを着て仕事をする。その姿が季節の風物詩ともなっていった。
官約移民の人々は、移住ではなく契約出稼ぎだったようだが、ハワイの地に留まった人も多くいた。出身者は西日本を中心に約3万人。広島、福岡、熊本などで、特に山口からは1万人余り、そのうち約4千人が周防大島の住民だったそうだ。異国の地で成功、挫折を繰り返したであろう〝ハワイ移民〟の生活の中で生まれたアロハは誇りだと言っていい。
by inakasanjin
| 2023-07-07 09:00
| 歴史秘話
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