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いい「加減」な生き方 

 春は、別れと出会いが同居している。仕事場を去る者があれば、来る者がいる。この季節になると「散る桜 残る桜も 散る桜」を伝える機会が多くなる。ありがとう、残る者も、いずれ、去っていきます、と呟く。そして、散った後、葉桜の繁る景色が人々に安らぎを与えるように、これまでの、伝えたい心よ、伝わって、と願う日々に変わる。
 定年退職後、人に遇うと、必ず「元気ですか、毎日、どうしていますか?」の声がかかった。返答は、いつも「いい加減に過ごしています」と、答えることにしている。すると、相手は、笑って、一瞬、怪訝な顔をする、いい加減、という言葉に反応するのだ。ここ数年の、日常である。いい加減、はいい言葉ではない、かもしれない、が「いい『加減』にする」ことは大事なことである。極端だが、加減が判らないからこそ命まで奪ってしまう事件が頻発する、加減を知り、加減を計ることで、人間の間合いがわかるようになる。間合いがわかれば、人と人との付き合い方も楽になっていく、のではなかろうか。
 だから、遮二無二生きる、精一杯生きる、のではなく、己の加減を知って、いい「加減」に生きる、そうすれば気負いもなく、無理もなく、穏やかな日々の生活が生まれてくる、そこで「加減」が、自分の感覚でしか判らないと気づく、そうすると、コダワリが消え、ウツが無くなる?
 人の生き方のなかで、助けて欲しい時、人を助けることで救われる事がある。妙なもので、逆も真なのである。また、裏表のある生き方は良くないが、まま、そんな人に出くわすことがある、しかし、所詮、人間「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」と思えば、それもいい。
 いい「加減」な生き方は、ある面、怠惰、と映るかも知れない、が、怠惰な馬鹿さ加減が、本当の意味で、生きることの極意?になるのでは、と思う。
 人間、馬鹿になれることが、許すことであり、許されることなのだ。
 江戸時代の僧侶で歌人の良寛は「子供の純真な心こそ仏の心」と、子供を愛し、子供と遊んで、多くの歌を残した。桜も、もみぢも、良寛辞世の歌。そういえば、春の桜、秋の紅葉は、ほろ酔い加減、が、似合う季節でもある。 

by inakasanjin | 2023-05-05 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)