2023年 02月 24日
鷗外・増蔵と漱石・豊隆
福岡県みやこ町には、明治の2大文豪である森鷗外(1862~1922)と夏目漱石(1867~1916)を支えた人物がいる。鷗外の志を継いで元号「昭和」を考案した漢学者の吉田増蔵(1866~1941/勝山上田生まれ)と、漱石山房に出入りして小説『三四郎』のモデルになったドイツ文学者の小宮豊隆(1884~1966/犀川久富生まれ)である。この増蔵と豊隆にまつわるエピソードを追う。不思議な縁の2人である。
まず宝暦8年(1758)の「思永斉」開学から思永館、香春思永館、育徳館、育徳学校、豊津中、豊津高そして「育徳館」と続く校歌を2人がともに作詞していることである。
豊津中学校校歌 吉田増蔵作詞/山本寿作曲
建国遠くさかのぼり/遠神の肇造らしし/わが国体の尊きを/
天にそびゆる彦山の/高根とほくも仰ぐかな//(略)
古今を貫く力もて/学びの業の文と武を/躍進こえて学ぶ舎の/
我が錦陵の其の光/輝かさばや海外に
育徳館校歌 小宮豊隆作詞/信時潔作曲
今川と祓郷川と/右左ゆたかにうねり/馬ケ嶽西より迫り/
彦山は南に聳ゆ/翠松は校舎を囲み/風立てば琴を奏づる//(略)
いざ我等心を合わせ/高々と理想をかかげ/惜しからぬ命を賭けて/
勇敢に真理を護り/混沌の世界の中に/とことはの平和を布かむ
次に日本最初の青春小説に「みやこ人」が登場することである。漱石の『三四郎』は明治41年(1908)に新聞小説として発表された。すると2年後、ライバルと言われた鷗外は〝田舎出の青年〟を主人公とする『青年』を雑誌に掲載した。
漱石『三四郎』のモデルが豊隆、で、鷗外『青年』は、行橋市の素封家・柏木家の「法科大学生柏木純一」がモデルとされる。この『青年』に「漢学者吉田増蔵」らしき人物も出てくる。100年を超えて読み継がれる日本の2大「青春小説」のモデルが郷土人なのだ。
意外なところにビッグで楽しめる話題が眠っている。鷗外と漱石を支えた人物が郷土人であることを誇り伝えていい。やはり埋もれた遺産に光当れば、さらなる輝きを生む。

