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乞食俳人と乞食歌人 

 江戸期に乞食の俳人と歌人がいた。美濃国の八十村路通(1649~1738)の句と備前国の平賀元義(1800~65)の歌を追ってみる。2人は乞食ではあるが貴人だった。


 松尾芭蕉が「和歌を詠む乞食」の噂を聞き、草津で出合った八十村に1首求めると「露と見る浮世の旅のままならばいづこも草の枕ならまし」と詠んだ。芭蕉と師弟の契りを結び俳諧の道に入った路通。江戸で一家をなせる者として其角、嵐雪などと共に彼の名もあったが「いねいねと人に言われつ年の暮」と「蕉門」では疎まれていた。しかし芭蕉は「自分亡き後、路通を見捨てず」と向井去来に伝えた。芭蕉死後、路通は俳諧勧進の漂泊の旅に出た。


  肌の良き石にねむらん花の山

  名月や衣の袖をひらつかす

  芭蕉葉は何になれとや秋の風

  残菊はまことの菊の終わりかな

  ほととぎすに口きかせけり梅の花

 

 平賀は、岡山藩士の嫡子。賀茂真淵に私淑し独学で国学を修めた。晩年、妻子で放浪生活を続けた。

 彼の業績は忘れられていたが、明治に入って研究がなされ、諸所に散った歌の短冊が蒐集された。この研究に正岡子規が注目し「万葉調の歌を世に残したる者、実に備前の歌人元義1人のみ、実朝以来の歌人である」と高く評価して名が広まった。彼の「大君の春はくれども青葉つむわが山方は雪はふりける」などの歌碑が各所に建立されている。


  牛飼の子らにくはせと天地の神の盛りおける麦飯の山

  梅の花恋ひもつきねば高おがみ雪をふらせて我を偲ばすも

  父の峰雪ふりつみて浜風の寒けく吹けば母をしぞ思ふ

  玉くしげ二心なきますらをの心に似たるひひらぎの花

  きはまりて貧しき我も立かへり富足りいかむ春ぞ来向かふ


 人は、こじき、こつじき、ほいと、かたいなどと読む〝乞食〟を詠んでいる。


  春寒や乞食姿の出来上がる      初代中村吉右衛門

  むやむやと口の中にてとふげの事を呟く乞食もありき   石川啄木  


by inakasanjin | 2022-10-21 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)