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最後の琵琶法師・山鹿良之 

 琵琶の音色は余韻を残す。生演奏を聴いたことはないが、琵琶独特のメロディーは語りと共に芸の奥深さを感じさせる。映画のポスターに「琵琶弾きは見かけじゃなか。芸をみがけ」とある。最後の琵琶法師といわれた山鹿良之(やましかよしゆき/1901~96)の長編記録映画を観て見たい。山鹿は、一途な「琵琶弾きさん」の生涯だったようだ。


 彼は、熊本県玉名郡大原村(現南関町)で生まれ、4歳で左目失明。22歳の時、肥後琵琶の伝承者で天草の盲目琵琶法師・江崎初太郎に師事。大牟田や柳川、筑後一帯を門付けしながら琵琶を習得した。琵琶語りは「小栗判官」「俊徳丸」など説教ネタから「大久保政談一心太助」など講談ネタ、戦記ネタなど幅広い「外題」があるといわれる。

 彼は「5時間語り」の曲を含む数百の演目を、盲目のため、すべて頭の引き出しに仕舞い込み、時に合わせて引き出して語れる「異端者」と言われた。そして「あの世とこの世をつなぐ」媒介者として尊ばれたようだ。膨大な「語りネタ」を持つ伝承者は、80歳を過ぎてなお「小野小町」「道成寺」「石堂丸」「チャリ」「菊池くずれ」「一の谷」「柳川騒動」「あぜかけ姫」「ワタマシ」など50以上の演目をすぐに引き出して弾き語ったという。

 恐るべし、すごい記憶力だ。語りに言霊が乗り移っていたのであろう、か。

 彼の弾き語りは、各地の芝居小屋や旧家の座敷、お宮、お寺、演芸場などで、普通の日々の暮らしと芸が組み合わさった混然一体の独自の語り。多くの人を魅了したという。


 琵琶語りの芸は、戦後、殆どの語り手が琵琶から離れたそうだが「肥後琵琶」伝承者の矜持を持って、彼は、ただ1人になっても貧しい生活苦に耐えながら「琵琶法師」の生業を続けた。そして、家庭では、盲目の三味線弾き瞽女の配偶者3人と5人の子供を亡くす悲運に見舞われた。しかし、彼は、ただ、ただ、ひたすらに琵琶の道を歩いた。


   ゆく春やおもたき琵琶の抱きごころ  与謝蕪村

   春風や淀川下る琵琶法師       正岡子規 


 山鹿は、その昔、源平の壇ノ浦合戦の古戦場、長門の国の赤間が関の阿弥陀寺にいて平家物語の弾き語りを得意とした「耳無し芳一」に匹敵する「語り者」と評価される。彼の「芸をみがく」姿が映像に遺されて伝わる。それは語りの心、琵琶の心として伝わってゆく。








by inakasanjin | 2022-08-19 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)