2022年 08月 12日
最後の瞽女・人間国宝小林ハル
最後の瞽女(ごぜ)で人間国宝とも呼ばれる小林ハルさん(1900~2005)は明治、大正、昭和、平成を生き抜いて105歳で逝った。ハルさんの足跡を辿って見る。
ハルさんは、新潟県三条市の庄屋格農家の4人兄妹の末っ子に生まれた。3歳で失明。5歳で瞽女修行に入るのだが、母から「おらはいつまでも生きられねエ『なんでも覚えねば』ならん」と、礼儀作法から編み物など徹底して教えられた。母を憎み、恨んだ。
また目が見えないからと家の奥で暮らし、人の前に出ることはなかった。そして生きてゆくため、針灸、按摩、琴、三味線の職業を探すが「瞽女」の道を選ばされた。最初の師匠からは「すぐ棒を持ってはたかれ」るなど、激しい仕打ちと嫉妬に耐え続けた。そんな中、瞽女独自の発声法の「寒声」訓練は厳しかった。薄着で素足に草履をはき、寒い川原に立って声を出す稽古を続けた。喉から血が出るほどの修行。やがて村の鎮守神で奉納するまでになった。陰湿な師匠から離れ、実家に戻った。
後、彼女は長岡瞽女の師匠の前で「瞽女唄」を披露すると「赤い半衿のついた襦袢」を贈られた。ハルの声は、マイクなしでもリズムを伴い、心地よく耳に届いた。美声ではないが、透きとおり、長年、鍛えた者だけがだせる見事な節回しで「低く太い、響き渡る声を持って一直線に鼓膜を突き破ってくる」といわれた。
またハルさんは、母から「目のみえないものは一生他人の世話になる。口答えせず、自分の意見は言わない」ように「運命を甘受する態度」を植え込まれ「悪い人と歩けば修行」の気持ちだった。だから「よほどついてない人」だと云われるほどに騙されもした。
昭和48年(1973)福祉施設入所まで瞽女として生きた。後、新潟、山形、福島などを巡る「瞽女唄」の調査、研究が進んで昭和53年には「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」としてハルさんらは保持者に認定された。その後、各種メディアに登場、脚光を浴びたが「一度聞いたら一度で覚えろ、私どもは、これを字に書かないで文句から節まで一緒に覚えていた」と修行の重さを伝えた。
やはり戒名「無量院春芳滋聲大姉」に刻まれるように「春の芳せ、百花乱れる中、ひときわ美しい香りを四方に放って歩き、人一倍、苦を背負いながらも慈悲の心を、野山に響き渡る澄んだ聲で想いを伝えた人」だったようだ。
今、1世紀を生きたハルさんは、胎内市の「やすらぎの家」そばの共同墓地に眠る。

