2022年 08月 05日
届かなかった手紙
歴史に「もし」はないが、ハンガリー生まれでアメリカのユダヤ系物理学者レオ・シラード(1898~1964)が、もし、いなかったら「原子爆弾は生まれていなかった」かも知れない。
1930年代、彼は、ドイツで台頭してきたナチスに強い危機感を持っていた。そのドイツに対抗する核開発を促す「書簡」を、ドイツ生まれのアルベルト・アインシュタイン(1897~1955)に、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領(1882~1945)へ送るように依頼。それが「原子爆弾開発のきっかけになる手紙」になった。
その手紙には「(略)ウラン元素が近い将来、新しい重要なエネルギー源となるかもしれない。(略)極めて強力な新型の爆弾の製造につながるかも知れません。船で運ばれ港で爆発すれば、この種の爆弾ひとつで、港全体ならびにその周囲の領域を優に破壊するでしょう。(略)」と記されていた。
後、米国で原爆開発の「マンハッタン計画」がなされ、科学者・技術者3千人を含む12万人を超える関係者が携わり、2兆円の経費をかけて原爆がつくられたとされる。原爆は「戦争を終わらせるための目的」とされ、当時、米軍は日本各地の都市襲撃を続けていたが、広島県の呉では空襲はあるが、広島にはない、などと「原爆の効果」を見極めるため、投下予定地には空襲なしの計算がなされての襲撃だったようだ。そしてヒロシマ、ナガサキに原爆が投下された。
ところが、原爆投下の前、米国のハリー・S・トルーマン大統領に「無警告使用に反対する70名の科学者」署名を集め「日本に警告せずに投下し、無差別に殺戮することに反対する」嘆願書づくりをシラードが中心になってすすめ、届けたが、届かなかった。シラードは「正義感強く孤高を厭わない人で、世間知らずと不誠実との選択を迫られたら世間知らずを採る人物」とされた。後、彼に「原爆を作らせようとして成功、使わせまいとして失敗した男」のレッテルが張られることになった。
シラードは、自らの戒めとして「十戒」を纏めている。1、自分が何をしようとしているかを理解する。1、自らの行いを価値あるものにする。1、創造できないものを破壊しない。1、もてあますものを欲しがらない。1、子どもに限りない愛情をもつ。1、見知らぬ人々の下へ歩みだす。1、声がかかった時はいつでも旅立てる。などを遺している。
もし、シラードらの「手紙」が届いていたならば、と悔やまれる。歴史は戻らない。

