2022年 06月 10日
しゃらくさい写楽狂の愉しみ
謎の浮世絵師・東洲斎写楽に嵌って40年近くなる。経緯を辿る。こだわり人間の軌跡を残しておくことも大事だろう。写楽絵の入手は、まず困難、だったら「写楽資料」蒐集の徹底を決意。そして資料が2600点に達したところで1区切り、気持ちの整理をする。
最初は「この本、面白いよ」の本屋のおやっさんの一言だった。昭和58年(1983)第29回江戸川乱歩賞の高橋克彦『写楽殺人事件』で、ストーリーに惹き込まれた。
写楽といえば、やはりドイツの美術研究家ユリウス・クルト。明治43年(1910)刊行の『SHARAKU』の日本への逆輸入で、写楽の評価は高まっていった。それまで写楽は消えた浮世絵師だった。このクルト初版本を原点に記録をスタートさせた。
とにかく「写楽」の記述さえあれば、何でも求めた。書籍、雑誌、新聞、図録、研究誌など映像以外は、目につくモノ全てを手に入れた。なかでも平成元年(1989)長野県の上田染谷高校図書館発行のガリ版刷り製本の亀村宏『写楽という男』を知り、まず学校への問い合わせから始め、図書館関係者の配慮で入手できた思い出は、記憶の襞に深く刻まれている。
また山口県の下関市立美術館で「謎の浮世絵師写楽展」(平成元年)開催の折、仕事を休んで「会場1番乗り」をし、記念に「図録」を頂いた記憶も残る。それに平成27年(2015)には、コミック雑誌に不定期連載された一の関圭『鼻紙写楽』が第20回手塚治虫文化賞「マンガ大賞」に輝いた、これで写楽の「漫画文化」への浸透も示された。
何はともあれ1番の印象は、北九州の有田久文さん(1930~2003)の研究成果『隠密写楽』出版に関われたことだ。ネット検索で、有田さんの「写楽研究」を確認後、突然、自宅を訪問した。すると「写楽仲間」のよしみで愉しい「写楽談義」に花が咲いた。そして「研究成果」出版を提案すると「やってみましょう」になった。編集者を紹介。出版準備中、作家の高橋克彦さんから「信じている力――何より気迫に圧倒された。(略)隠密説とはなんと魅力的な響きだろう。乾杯、といいたい気分である」の「序文」が届いた。感謝。
写楽は、寛政6年(1794)5月から翌年正月までに発表された「浮世絵」のみが存在の証。人は謎にチャレンジするが解明者は、まだいない。ただ、年30余点の「写楽資料」の出現を黙々と「追加」してゆくことが、しゃらくさい写楽狂の密かな愉しみである。