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古代の病院か「続命院」は

 地名は歴史の証という。それで「続く命の院」いわゆる「続命院(ぞくみょういん)」を調べて見ると、九州では福岡県みやこ町犀川続命院、筑紫野市俗明院、佐賀県みやき町続命院の3カ所にある。名前の由来には、やはりドラマがあった。


 古代の太宰府は「遠の朝廷」と呼ばれ、納税や所用で多くの人々が集った。長い滞在者もいて病や飢えで命尽きる者も出た。この窮状を見兼ねた公卿の小野岑守(おののみねもり/778~830)の時代、弘仁13年(822)に救護・療養・宿泊施設として「続命院」が太宰府近郊に設置された。大宰府政庁の官営だった。施設には檜皮葺屋や食糧庫などが建てられ、観世音寺の僧が医療スタッフとして治療に当たったとされる。そして運営は、墾田(114町)が分散して与えられ、その収益が施設維持の財源に充てられたと伝わる。


 それで施設設置は「政庁」に近い筑紫野市の「俗明院」だった、と郷土史家の説もあるが、江戸時代の福岡藩の本草学者・貝原益軒(1630~1714)の調査では判明しなかったという。だとすると「俗明院」ではない、みやこ町とみやき町の「続命院」に焦点が当たることになる。そして墾田が分散して「続命院田」とされたことで、命を守る水田地域の広がる土地に「続命院」と名付けた由来は納得できる。その土地を少し追って見る。


 みやこ町の「続命院」は、町の南西部に位置。霊峰・英彦山に源を発する清流・今川の東側にあり、豊前国府跡の近くでもある。この地を中心に周辺地域の広い平野で、銅鏡が出土、箱石石棺墓なども確認されている。また土地を碁盤目状に区画した「条里跡」も遺り、豊かな田園地帯であったことが想像される。まさに墾田の推定地だと思われる。

 それに「続命院」は、ある研究によれば「日本最古の赤十字病院」とする説もあるといわれ「命」に関わる地の「古代の病院」だったとしても、決して不思議ではない。


 ところで東京の江戸川区にある「證大寺」の正式名称は「法輪山證大寺続命院」という。承和2年(835)大宰府での路上死の人々の看取りをと「続命院」の坊舎を設置。元和2年(1616)浄土真宗の寺院が再興。昭和52年(1977)九州の地から首都圏に移って開教した。阿弥陀如来、薬師如来、観世音菩薩を祀る。今、コロナの時代にあって、命を育んだ原点としての「続命院」の地を、改めて見直す時ではなかろうか。


by inakasanjin | 2022-05-27 09:00 | ふるさと京築 | Comments(0)