2022年 04月 22日
応援するよ!ライブハウス
令和3年(2021)12月24日のクリスマスイブは下宮圭太郎君の33歳の誕生日になるはずだった。福岡県行橋市JR新田原駅前にライブハウス「Mr・K」が11月末、本格オープンした。ハウスは、下宮弘樹さん(60)が会社勤めのミュージシャンとして活動してきた定年後の夢であり、妻晴美さん(59)の深い想いも籠るトポスになった。
「Mr・K」の名は、平成29年(2017)8月、宮崎県延岡市の大崩山(1644㍍)の登山事故で亡くなった長男・圭太郎君の名を冠した。彼は、オフロード仕様のバイクで野山を駆け巡り、カメラを持ち、父から贈られたギターで猛特訓するなど、何事にもチャレンジ精神旺盛な若者だった。母・晴美さんから見た圭太郎君を追ってみる。
──そうですね。思いだすと涙がでますね。夢も見ますよ。幼い頃を振り返ると、やんちゃな子でした。幼稚園の時、自転車に乗って行方不明、木から落ちてくも膜下出血、小学校では忘れ物が多い、とにかくワンパクで手のかかる子でした。しかし、3つ違いの弟を可愛がっていました。無鉄砲だな、と思っていましたが、学校の先生から「男気のあるお子さんですね」と言われ、何か救われました。そう、お友達の悪口を聴いたことがありませんね。
部活は父親が卓球好きだったからか卓球部。とにかく、やりたいことは集中しました。勉強も頑張って京都高、北九州市立大、大学院と進み、卒業後は会社員として北九州で独り暮らし。趣味は伯父たちの勧めもあって山登り。それと幼い頃から怒られてばかりのおじいちゃんが本好きで「じいちゃんを尊敬していた」といい、本も読んでいましたね。ある時「自分は人に恵まれたポジティブ人間」と周りの人を讃えた。そして友達から「ユニークで面白い人、みんなの中で一番の大人でしたよ」の思いがけない言葉には驚きました。私たちには見せない息子の姿に感謝でした。また1人で、大分にある祖父の墓の掃除をして「花を供えたよ」の連絡が来るなど優しい子でした。
亡くなる直前ですが、ギター練習を重ねた彼を連れて北九州のサウンドハウスに親子3人で行った折、父親が夢を語ると「いいやん、俺も応援するよ」と応えた。その言葉が支えですね。今、圭太郎に生かされている気がします。感謝です。──
店の黒いシャッターにギターを抱いた圭太郎君の後ろ姿が白く描かれ、彼の好きな「seeing is believing(見たことだけを信じる)」の言葉が刻まれている。