2022年 03月 25日
ベースボールを野球と訳す
日本人はうまい言葉を生み出すものだと感心する。とにかく言葉誕生には、行きつ、戻りつ、イロイロある。例えば、ベースボールを野球と訳すまでの経過を追ってみる。
最初に「野球」という言葉を使ったのは、確かに俳人で歌人の正岡子規(1867~1902)のようだ。しかし、ベースボールの訳語ではなく、彼の幼名「升(のぼる)」に因んで「野球(のぼーる)」の雅号を持ったことだ。彼の命名俗説が広まったのは、日本に野球が導入された頃、友の河東碧梧桐(1873~1937)が「変態現象」と言うほど、彼はベースボールに執着、熱心でポジションも捕手。明治22年(1889)の喀血まで活躍した選手だった。後、子規は新聞の随筆に「ベースボール未だ曽て訳語あらず、今こゝに掲げたる訳語は吾の創意に係る」と記し、バッターを打者、ランナーを走者、フォアボールを四球、ストレートを直球、フライボールを飛球とするなどの翻訳案を提示した。
まだベースボールを「底球」と呼ぶ時代だった。子規は、熱い想いの句歌を残す。
まり投げて見たき広場や春の草
九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす
ベースボールの日本導入は、明治4年、お雇い外国人として来日した米国のホーレス・ウイルソン(1843~1927)が東京開成学校の生徒らに教えたことに始まる。明治26年、第一高等中学校(現東大などの前身)の選手として活躍していた鹿児島市出身の中馬庚(ちゅうまかなえ1870~1932)は、卒業記念に「ベースボール部史」の執筆を依頼され「Ball in The field」を基に「野球」と命名した。そして「テニスは庭でするから庭球、ベースボールは野原でするから野球」の説明に皆は納得した。
中馬は、昭和45年(1970)に野球殿堂入り、レリーフに刻まれた顕彰文がある。
明治27年ベースボールを「野球」と最初に訳した人で、また同30年には野
球研究書「野球」を著作。これは単行本で刊行された日本最初の専門書で、日
本野球界の歴史的文献と言われている。一高時代は名2塁手。大学に進むやコ
ーチ・監督として後輩を指導。明治草創時代の学生野球の育ての親といわれた。
一つの言葉が生まれ、定着するまでにはいろんなドラマが楽しめる。それもまた良し。

