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日本のジャンヌ・ダルク

 昭和35年(1960)6月15日、国会構内で全学連と警察官が衝突した反安保デモの中、東大の女子学生・樺美智子さん(1937~60)が胸部圧迫で窒息死。強い正義感を持った彼女は安保闘争に参加、活動していた。フランスの守護聖人の一人であるジャンヌ・ダルク(1412~31)に重なる樺の墓誌には「最後に」の詩が刻まれている。


  誰かが私を笑っている 向こうでも こっちでも 私をあざ笑っている

  でもかまわないさ 私は自分の道を行く

  笑っている連中もやはり 各々の道を行くだろう

  よく云うじゃないか 「最後に笑うものが 最もよく笑うものだ」と

  でも私は いつまでも笑わないだろう いつまでも笑えないだろう

  それでいいのだ ただ許されるものなら

  最後に 人知れずほほえみたいものだ  1956年 美智子作


 彼女は、兵庫県神戸市で社会学者の娘として生まれ東大に入学。国内で大きなうねりになった「安保改定阻止」の急進的活動家として知られ、圧死したことで殉教者となった。後の世では「60年代を超えた者たち」の確かな証として彼女は詠み続けられる。


   一粒の麦芽ぐむ朝、いちにんの女子学生の死は泥寧に     太田青丘

   六月の雨は切なく翠なす樺美智子の名はしらねども      福島泰樹

   樺美智子へ!もし一片の恥あらばわが魂の四肢の十字架    三枝浩樹

   デモに散りし樺美智子の顔ふとも今なお背負うかなしみなりて 岡貴子

   樺さん今もどこかに棘ささるあの日の僕は図書館にいた    伊澤敬介

   六・一五ぽとりと落つる夏椿その白さこそ樺美智子よ     重信房子

   三十九年経て立つ南門かの夜を樺美智子は足もとで死す    川名つぎお

   あの日から半世紀経て樺忌の六月一五は年金支給日      山内利夫

   安保より辺野古へたどる道の辺に樺美智子はとまどひをらむ  三ツ木稚子


 6月18日、国会を33万人が取り囲んだ後、日米新安保条約発効とともに岸信介首相は退陣を表明。24日に樺の葬儀が日比谷公会堂で行われた。毛沢東から「樺美智子は全世界に名を知られる日本の民族的英雄となった」のメッセージが寄せられた。母・光子の手になる遺稿集『人しれず微笑まん』はベストセラーになった。樺の心は今も息づく。








by inakasanjin | 2021-12-10 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)