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小説『ベンゲット移民』を知る 

 福岡県京都郡豊津町(現みやこ町)出身で京都高女(現県立京都高)卒の大石千代子(本名=有山千代子1907~79)の女流小説家としての活躍を、今、郷土で知る人は、殆んどいない。足跡を辿ってみる。


 彼女は外務省勤務の夫とブラジルとフイリピンで十数年を暮らした。フイリピン滞在時の体験を昭和14年(1939)に小説『ベンゲット移民』として発表。その作品が第9回芥川賞(14年上半期)候補として最終段階まで残ったが、選考委員の宇野浩二によれば「16作家の中から、私は滝井孝作と相談して(略)6人の作品を選んだ」中にはなかった。その回は長谷健『あさくさの子』と半田義之『鶏騒動』2作品が受賞した。が、大石は「芥川賞予選候補作家の群像」に石上玄一郎や木山捷平などと記録されている。

 大石は、高女在学中(大正12年卒)から文学を志し、豊津で鶴田知也(作家)福田新生(画家)高橋信夫(音楽家)3兄弟らの文芸誌「村の我等」に妹の生田久子と参加。文学への情熱を深め、習作の修業に励んだ。その後「女人芸術」同人になり長谷川時雨門下として林芙美子、平林たい子、円地文子らと親交を結んだ。


 大石の「ベンゲット移民」は、満州移民のような国策移民ではなく、貧しい日本を救えればと、国民自ら好況時のフイリピンに渡航し「不法外国人労働者」とする両国政府黙認の〝移民〟だった。そして米中比人では成し遂げられなかった難工事「ベンゲット道路」などを日本人の血と汗と粘り強さで完成させたと伝わる、が、この悲惨な「事実」を示す記録は、米比にも日本の外交資料にもないという。

 彼女の『ベンゲット移民』に二作家の「序」がある。島崎藤村は「(略)千代女史はここに着眼し、移民の生活から創作をつかみ出すことを試みた。(略)」とあり、長谷川時雨は「(略)異境にまつられぬ『人柱』となった先行移民の1ツの記録を世に傳へた(略)」と記す。もし、この書物がもっと注目されていたならば、歴史に記されてない移民を知っただろうし、今の「繁栄」が、いかに多くの人々の強いられた犠牲の上に成り立っているかを伝え、残せたのではなかろうか。 


 そう第3回芥川賞(11年上半期)受賞作の鶴田知也『コシャマイン記』がアイヌの悲劇を伝え続けるように、同じ豊津の地で育った女性の目で綴った『ベンゲット移民』は、忘れ、埋もれた〝移民〟の現実を新たな記憶として留めさせるかもしれない。読もう。


by inakasanjin | 2021-11-12 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)