2021年 10月 08日
ありがとう、バイバイ
世界一のブロンズ製の釈迦涅槃像(全長41㍍・高さ11㍍・重さ約300㌧)が横たわる福岡県篠栗町の南蔵院。そこの第23世林覚乗住職(68)の講演CDを聴いた。
彼は、いろんな人の泣き笑いの人生をウイットに富んだ泣き笑いの喋りで語る。お年寄りが「若い時は2度とないというが、年寄りも2度とないのに不思議ですね」や「姑が三途の川を泳いで渡るからと水泳教室に行き、上達したのを嫁が聞いて、コーチにターンだけは教えないで下さいと頼んだ」など、と、なるほどの語り、は楽しいひと時を過ごせる。
林住職は各地での講演会に呼ばれているようで、著作はもちろんだが、CDやDVDも好評のようだ。1時間講演カセットは「自分には自分にしか歩けない道がある」をテーマにしたもので『心ゆたかに生きる』中には、様々な人々の色々な話が詰まっている。
先代貴ノ花(1950~2005)が、小児白血病の少女・植富由加ちゃんとの出会いによって救われた語りがあった。由加ちゃんは、猛烈な貴ノ花フアンで、勝った日は病状が良くなり、負けた日は悪くなると言うほどだった。大関在位50場所は「白血病少女」の思いが支えたようだ。
彼は、大関昇進3場所目の土俵で頚椎損傷という大怪我に見舞われ、医師から引退を勧められる衝撃の日々が続いた。由加ちゃんは「貴ノ花引退か」を聞いて病状も悪化していく。母は娘の懸命な姿に堪らず貴ノ花に「腹痛、熱、血尿、そんな中での歩行訓練。でも、決して娘は弱音を吐きませんでした。(略)歩こう、歩きたい。この目で貴ノ花関の相撲を見に行きたい。この手で握手がしたい。枕元の貴ノ花関の写真に向かって《貴ノ花さん、頑張ってください》とお祈りしてから眠る。娘の願いをどうか叶えてください。どうかもう一度土俵に上がってください」の手紙を送った。
貴ノ花は「……読み終えてしばらく放心状態……便箋の文面の途中に涙の跡……深く心に刻み……にげない。ぶちあたってゆく……貴ノ花の相撲はこの親子が作ってくれた」と語ったという。
由加ちゃんは昭和48年(1973)に9歳8ケ月の生涯を閉じた。両親、先生、看護の皆さんに見守られ、遠のく意識の中から「ありがとう、バイバイ」が最後の言葉だった。
林住職は「たとえ短い生涯でも、まさしく与えられた運命、役割を精一杯生き、そして果たし終えてこの世を去った由加ちゃんは、きっと天寿を全うした」と話を結んだ。