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一かけ二かけて三かけて、の歌

 2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」で記憶に残る一シーンと言えば西郷隆盛(1827~77)と僧・月照(1813~58)が、2人合い抱いて錦江湾に身を投げる場面だ。詳細は語られなかったが、寒中の海に浮く船で「帆を下ろせ~」の大声。船頭と足軽。それに福岡藩士の平野国臣(1828~64)は2人の姿を必死に捜し、やがて海面に浮上した2人を船に引き揚げ、介抱したが、月照は絶命、隆盛は奇跡的に一命を取り留めた。

 薩摩(鹿児島市)の隆盛と讃岐(善通寺市)の月照に筑前(福岡市)の黒田家に仕える足軽の子で国事運動に身を投じていた国臣が交差したのは、安政の大獄で追われる身の月照が隆盛とともに京都を脱出して「薩摩入り」の時であり、ともに行動した軌跡が残る。

 西郷は、江戸幕府の探索から月照を守るため、薩摩で匿う計画に、平野の、まさに命がけの勇気と義侠心に助けられた。しかし薩摩藩は、無情にも月照の保護を拒否して「日向送り」を命じた。死出の旅路となった。月照の辞世の歌など、当時の三人の歌が残っている。


   大君のためにはなにか惜しからむ薩摩の瀬戸に身は沈むとも   月照

   二つなき道にこの身を捨て小舟波立たばとて風吹かばとて    西郷隆盛

   君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりてんものを   平野国臣


 月照事件後、平野と西郷の深い交流は続いた。国臣は桜島を詠んでいる。


   我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山       平野国臣


 一度死んだ男は強くなった。西郷は、奄美大島に流罪。名家の娘・愛加那と結婚。菊次郎と菊草の子を持った。後、国を動かす人物として活躍する。幕府を倒して明治政府を樹立したが、彼は新政府を離れて薩摩に戻った。後、薩摩士族と新政府の間で西南戦争が勃発。西郷は政府軍の銃弾を受け、敗退の途中「もうここいらでよか……」の言葉を残して逝った。

 西郷と江戸城無血開城を実現させた勝海舟の「西郷を詠む」歌碑が南洲墓地に建つ。


  ぬれぎぬを干そうともせず子供らがなすがまにまに果てし君かな 勝海舟


 また隆盛の娘のわらべ歌「一かけ二かけて」のメロディーが、ふっと蘇ってくる。


  ♪一かけ 二かけて 三かけて 四かけて 五かけて 橋をかけ 橋のらんかん

   手を腰に はるか向こうを ながむれば 一七、八の姉さんが……

     



by inakasanjin | 2021-09-10 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)