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よもの海……9月6日

 歴史には大事な時がある、と平山周吉『昭和天皇「よもの海」の謎』を読んで思った。日本にとって9月6日が過去も未来も重要な日であることを知ることが出来た。平成18年(2006)9月6日、秋篠宮家に悠仁親王がお生まれになった、将来、天皇誕生日となる日。また昭和16(1941)年9月6日、太平洋戦争へ向かう起点の日。その日、昭和天皇は宮中の御前会議で明治天皇の御製を読まれた。


    よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ


 歌は「戦争への流れに『待った』をかけ」るため、乾坤一擲「あってはならないこと」が起きたのだが、そうはならなかった。明治天皇の詠まれた和歌を読まれた昭和天皇の御心をいろんな角度で照射する論考は捲るページを止めなかった。


 そして興味深いのは、ここに郷土人が登場していることだった。

 この歌が「(略)末松謙澄『明治両陛下聖徳紀 修養宝鑑』(大正8年)には、米大統領セオドア・ルーズヴェルトがこの和歌に感激してポーツマス会議の開催を斡旋した」とあり、明治37年(1904)2月10日、日露開戦を決めた御前会議の後に詠まれた歌といわれ 

 「(略)御英断についてのなみなみならぬ御軫念は拝察するだに恐懼の極みであると、かって末松謙澄子爵が、伊藤公の直話として語られた(略)」

とある。末松謙澄生誕之地碑(行橋市)は、我が家のすぐそばにある。

 また終戦の日「御詫言上書」を認めた杉山元は、旧制豊津中(現育徳館高校=みやこ町)卒で先輩の奥保鞏に次いでの元帥。徳川侍従の日記には、9月12日「杉山元帥及び夫人自決す。理由おたずねあり、お上にお詫び申し上げたるなりと申し上ぐ」天皇の御言葉があったことを特記している。

 明治天皇に殉死した乃木希典夫妻に倣って戦争責任を負っての杉山夫妻自決であったのであろうか。ただ「(略)一般向けの杉山伝が準備され(略)執筆者とし(略)杉山の後輩だった小説家(略)」ジュニア小説の富島健夫(苅田町)が「杉山元帥伝」を世に出していたらと悔やまれる。

 さらに元号「昭和」を考案した吉田増蔵(みやこ町)が「父は大東亜戦争開戦の起草を最後のご奉仕」(娘・三浦ふゆ子)として12月8日の「開戦の詔勅」になったことを思えば「よもの海」の綾なす糸に絡まる郷土人に熱くなる。9月6日を忘れまい。


by inakasanjin | 2021-09-03 09:00 | ふるさと京築 | Comments(0)