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被爆作家の原爆文学

 昭和20年(1945)8月6日、広島に原子爆弾が投下された。作家2人も被爆した。原民喜(1905~51)は『夏の花』(1947)、大田洋子(1906~63)は『屍の街』(1948)を発表した。「原爆文学」の出発点になった。被爆作家2人を追う。

 原は堅牢だった生家のトイレにいて被爆したが、大きな外傷は受けなかった。彼は「このことを書き残さねばならない」と『夏の花』に着手した。書き出しを記す。


 私は街に出て花を買うと、妻の墓を訪れようと思った。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あった。八月十五日は妻にとって初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑わしかった。恰度、休電日ではあったが(略)


 彼は『原爆小景』『廃墟から』『鎮魂歌』『心願の国』などの作品を残し、昭和26年3月13日、朝鮮戦争、原爆症の苦悩などで国電吉祥寺駅近くの線路で自殺した。繊細で感受性の鋭い性格ならば頷ける行動ではある。広島市内に原民喜の詩碑が建つ。

  遠き日の石に刻み 砂に影おち

     崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻    ――を刻む。


 大田は妹の家の2階、蚊帳の中に寝ていて被爆、耳や背中に傷を受けた。彼女は「書いておくことの責任を果たしてから、死にたい」と『屍の街』に着手。書き出しを記す。


  混沌と悪夢にとじこめられているような日々が、明けては暮れる。よく晴れて澄みとおった秋の真昼にさえ、深い黄昏の底にでも沈んでいるような、混迷のもの憂さから、のがれることはできない。同じ身のうえの人々が、毎日まわりで死ぬのだ(略)


 彼女は『流離の岸』『桜の国』『半人間』『人間襤褸』などの作品を残し、昭和38年12月10日、福島の猪苗代の温泉で入浴中に心臓麻痺で急死した。行動的で自己主張が明確な反面、放射能による体調には敏感だったようだ。広島市内に大田洋子の文学碑が建つ。


  少女たちは 天に焼かれる 天に焼かれる

     と歌のやうに 叫びながら 歩いて行った  ――を刻む。


 原爆を扱った作品は数多くある。非被爆作家の井上光晴『地の群れ』(1963)と井伏鱒二『黒い雨』(1966)にも、ずしりと重い人間の生が描かれているように思う。


by inakasanjin | 2021-08-06 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)