2021年 06月 11日
いただき門はりっぱな門
遊び仲間から「いただき門を手作業で屋敷に備えます」のメールが入った。門づくりの進捗状況が写真添付メールで届く。写真を見ながら、じゃあ、お門違いかもしれないが、どんな門でもいいなら駄洒落も含めて、門づくしの一文を創作してみます、の返信をした。
まず門戸は正門、校門など開門しているところから入る。昔は、専門の門番がいたりしたが、鬼門でなければ関門は、そこそこ、上手く抜けられる門だといわれる。山門、城門、柴門はそれなりの門に見えるが、とんでもない門としては獄門、砲門がある。
また名門といわれる権門への登竜門は、それなりの門地、家門、門閥でなければという門の、入門して一門、同門になればしめたものだ。
しかし宗門、仏門などの専門部門と違って、なかなか簡単にはいかん門だとされる。そして、後に、とんでもない門だとなれば、すぐに破門になる。だから、正月に門松立てて門出を祝うなど、もっての外で門外漢のすることだそうだ。
門前の小僧習わぬ経を読む、などの「諺」を追ってみる。忍の一字は衆妙の門。朝酒は門田を売っても飲め。好事門を出でず悪事千里を行く。口は禍の門。前門の虎後門の狼。笑う門には福来る、など、まだまだある。句や歌に詠まれた「門」も捜してみる。
門を出ればわれも行人秋のくれ 与謝蕪村
夕月や叩かば散らん萩の門 正岡子規
ひとつ星など指さして門すずみ 井上井月
由良の門を渡る舟人かぢを絶えゆくへも知らぬ恋のみちかな 曾禰好忠
ただひとり世をば讃へし子が門に栄えよさかえよ花緋木蓮 萩原朔太郎
願はくはわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはばや 佐々木信綱
いただき門はりっぱな門になりつつある。門の仕上がりは、親子のんびり作業でいつ終了か「わからん門です」という。脇には小石垣、水門、飾り井戸、自然石の慈母観音、さらに鳴門の渦の先、仏の世界の沙門、桑門を秘めた修行仏石なども配置されているようだ。あまりに門、もん、モンという門だから不動明王の変化身「くりからもんもん(俱利伽羅紋紋)=入れ墨(刺青)」につながった。鮮やかな技巧の唐門を想像させる「もん」でもある。
兎に角、すった門だ、で、賑やかな門になり、通り抜けたい門だね、の門に期待する。