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わび茶を追ってみる

 わび(侘)さび(寂)といえば「あゝ、わびさび、ね」と納得顔。だが詳しく訊くと、さて、となる。解っているようで解ってない。日本の美意識の1つ。ところで、日本の茶は奈良時代に始まり、わび茶の原型は室町時代という。茶道における「わび茶」を追ってみる。 

「わび」の記述は『万葉集』にもあるようだが、美意識概念は江戸時代の茶書『南方録』以降とされる。また「さび」は『徒然草』などに「古く味わい深い」と記され、特に俳諧の世界で重視され、江戸時代に「わび」と結ばれ、茶道において「わびさび」が用いられるようになった。

 わびさびは、質素で静寂な空間にひそみ、西洋にはない日本独自の美で「Wabi Sabi」と表現される。元来、わびは悲嘆など人間内面の落ち込みを表す言葉だが、戦国時代、大名がこじんまりした不自由さを好む「侘び茶」を開き、静かな佇まいを楽しんだことに因るという。

 わび茶は、一休宗純の下に参禅した奈良出身の僧・村田珠光(1422~1502)が創始者といわれ、堺の豪商である武野紹鴎(1502~55)らが引き継いで発展。豪華な茶の湯に対し簡素な境地を示す草庵の茶として、安土桃山時代に流行し千利休が完成させたといわれる。それを「乞食宗旦」と渾名された利休の孫・千宗旦(1578~1658)が徹底探究し「わび茶」をさらに深化させ、創りあげられたとされる。

 わび茶に関して、珠光は粗末な道具や茶碗を賞美して「ひえかかる」美学に適えば良しとし「茶禅一如」を説いた。また紹鴎は「みわたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)」を「わびの心」として「枯れかじけ寒かれ」を茶道の極みとした。

 わび茶を完成させた利休は茶道精神、点前作法を説く歌「利休百首」を残している。


  ならひつゝ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり

  はぢをすて人に物とひ習ふべしこれぞ上手のもとゐなりける

  茶の湯とはただ湯をわかして茶を点ててのむばかりなる事と知るべし  


 また俳聖・松尾芭蕉は「侘てすめ月侘斎がなら茶哥」の句の「詞書」に「月をわび、身をわび、拙きをわびて、わぶとこたへむとすれど、問人もなし。なをわびわびて、」と記す。そして「するが路や花橘も茶の匂ひ」など茶を詠む八句があるようだ。

 日本美は、古くなり朽ちゆく様さえも「わびさび」の美として捉え、究極美に触れる。


by inakasanjin | 2021-06-04 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)