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双葉山を見つけた高法山

 郷土史を紐解くと意外な話が眠っている。郷土誌「しいだ」第3号(平成7年刊)に池永敬「高法山の相撲人生」という小論があり、中に「角界入りと双葉山発見」の項目があった。大相撲の大横綱・双葉山誕生の秘話が綴られている。ひょい、と宝が出たようだ。


 福岡県京都郡椿市村(現行橋市)で生まれた森本喜代松(1898~1989)は、幼い頃から剛力、神社の奉納相撲などでは優勝の米俵を担いで帰っていた。大正2年(1913)15歳の時、大阪大角力協会に入門。四股名は「高法山」で3役入りした力士。小兵だが小気味よい相撲取りだったそうだ。相撲巡業で度々、九州に来た。昔から宇佐神宮の放生会相撲には参加していた。その折、彼は宇佐の海岸散策で、炭俵を軽々と掲げ持ち船に運ぶ少年を見つけていた。宇佐郡天津村(現宇佐市)の穐吉定次(1912~68)少年だった。

 高法山は少年に角界入りを勧めたが、首をタテに振らない。両親にも会って頼んだ。少年に手ほどきをした高法山は彼の相撲技に惚れ込んだ。このことを地元の警察署長にも伝えた。

 昭和2年(1927)に東京と大阪の角力協会が合併して大日本相撲協会(現日本相撲協会)が発足した。高法山は合併を機に角界引退。そして神職と行司の免状取得の修行に入った、後、高法山は、どうしても穐吉少年が忘れられず、何度も宇佐を訪ね、本人と両親へ角界入りを口説いた。ようやく「5年間だけなら」の返事。警察署長を通して立浪部屋に入門することになった。穐吉少年は15歳だった。

 四股名は「栴檀は双葉より芳し」から「双葉山」と命名された。彼は海運業で精神と肉体を鍛えられていた。角界に入門したものの目立つ力士ではなかった、が、足腰が強く土俵際の逆転相撲が多く「うっちゃり双葉」と呼ばれた。昭和7年幕内、11年関脇、12年大関、そして第35代横綱となって69連勝の大記録を樹立することになる。高法山が見つけた穐吉少年が大横綱になったのだ。


 高法山は、昭和4年、椎田町湊の加野キヨと結婚、湊に新居を構えた。彼は神職の資格もあり近隣の宮相撲などの行司を務めた。26年に時津風(=双葉山)一門が椎田巡業に来た。高法山は穐吉少年(双葉山)が名横綱として郷土の土俵に立つことに心高鳴った。 

 時津風親方は、土俵の上で高法山の手をがっちりと握り「おやじさん、お久しぶりです」と言った。感動の再会だった。晩年、高法山の〝相撲甚句〟が入院中の病院に響いた。


by inakasanjin | 2021-04-30 09:00 | ふるさと京築 | Comments(0)