2021年 04月 09日
学歴や職歴よりも、苦歴
岡山のノートルダム清心学園理事長だった渡辺和子さん(1927~2016)に「学歴や職歴よりもたいせつなのは、苦歴」という言葉があるのを知った。『置かれた場所で咲きなさい』の著者ならではの言葉だ。生きてきた「苦歴」は、まさに人生の証だろう。
あるブロガーが「苦歴」について若い障害のある女性から聴いたとして「みなさんは、人生、学歴だ、職歴だって、おっしゃいますが、もう、私なんか、学でも職でもなく、苦歴なんですよ。だから私の人生で書くのは履歴書でなくて苦歴書」の話をブログにアップしていた。渡辺さんしかり、障害の女性しかり「苦」の中から「生」を学んできたようだ。
日本の社会は概ね学歴と職歴は連動するシステムになっているようだが、結果オーライであるならば、現在は、学、職、問わず、物事の問題が解決、解消すれば「歴」は必要ないようだ。要は、人のやる気であり、実践、実行が大事な時代となっている。
ソニーの盛田昭夫さんは「学歴無用社会」を説いた。自己の才能を信じて情熱を注ぐことや夢を実現するまでの苦労の量が心の広さをあらわすなど、自ら切り開いてきた日々の「苦歴」は、全ての人が刻む「人歴」と言ってもいいだろう、貴重なものだ。
その昔『大学は出たけれど』という映画が小津安二郎監督(1929年)と野村芳太郎監督(1955年)によって製作されて評判をとった。最高学府を出たが職がない生活を描いたものだった。啄木の「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」ほどはないにしても、皆が貧しかった。当時の人は、その「貧」を乗り越える懸命の力を振り絞った。だからこそ「学」「職」関係なく「苦歴」が輝いて見えるのだろう。
今、学歴詐称、学歴貴族、学歴難民などの言葉を散見する、情けないかな、今の世の鏡に映る「学歴」は哀しい。また現役で仕事をしていた時代、それぞれ職責があった。その職に拘って生きてきた人の末路も悲しい。齢になり組織から外れれば「唯の人」になる。組織にいても自らの人生を見越し、もともと与えられた「職歴」は仮の名として自覚、肩ひじ張らずに「唯の人」で生きてきた人であれば落胆もなければ悲哀もないだろう、だから「職」が消えたからと言って何も怖がることもなければ卑屈になることもない。
所詮「学歴」も「職歴」も究極、借り物で「苦歴」が随一、真の証になりそうだ。