2021年 03月 26日
朱子学か、陽明学か
NPO仲間から「生き方は、朱子学か、陽明学か」と問われた。2つの学問を精査してみた。紀元前の中国で興った孔子を始祖とする儒学が朱子学と陽明学に派生したようだ。
朱子学は、宋の朱熹(1130~1200)の教えで、自然や万物に上下関係があるように人間関係も差別があってしかるべき解釈。根本理念は。人間の心を性と情とに分けて「性即理」とした。また人の「知(知識・学問)」と「行(行動・実践)」は、知が先にあり、
後に行動があるとして「知」と「行」は別物の「先知後行」の考えを示した。そして礼をわきまえ敬(つつしみ)を持って主君に従うことを説き、日本では江戸幕府が朱子学を採用して保守体制を作り上げた。日本には元治元年(1199)に真言宗の僧・俊芿が中国から持ち帰ったとされるが、諸説あり。江戸時代に林羅山(1583~1657)によって再興されて「上下定分の理」など武家政治の基本理念として幕府の正学とされた。幕府にとっては「上の命令は絶対、下の者は従うのがあたりまえ」とする好都合の世になった。
陽明学は、明の王陽明(1472~1529)が始めた学門で「万物一体の仁」として万物は根本が同じ、自他一体とみなす思想。基本理念は、人間の心と性を峻別せずに、心そのものが理に合致する「心即理」とした。また知ることと行うことは同じ心の良知(人間に備わる先天的な善悪是非の判断能力)に発する作用で分離できない「知行合一」とする。そして「知って行わざるは未だこれ知らざるなり」と朱子学とは違う学びは、江戸時代、元々、朱子学者だった中江藤樹(1608~48)とその弟子・熊沢蕃山(1619~91)によって広められた。藤樹が学の中心に置いたのが「孝」といわれ、親孝行はもちろん全ての人に与えるのが孝の本質と説いた。こうした陽明学に幕府も恐れて「寛政異学の禁」などの弾圧を行ったとされる。江戸から幕末にかけて「禁学」されていた学問は、大塩平八郎や松下村塾の吉田松陰、明治維新に活躍した西郷隆盛などに大きな影響を与えたようだ。
こうして見てくると時代のカタチによって人の考え方も変わる。世の中のカタチも変わる。しかし、私たちは人間本来の姿を見つめて生きることが大事だろう。だとすれば、人として何をすればいいのか。何が正しいのか。何が良いか、悪いか、学ばずとも知っているだろう、心に忠実に生きて行けばいい、と説いた「陽明学」が問いの答えになるようだ。