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3・11と3・22

 マグニチュード9・0の大地震、加えて津波、原発のトリプル災害、東北地方を中心に想像を超える悲惨な大災害が発生、混乱が続く。自然の猛威に飲まれた、人間は、呆然と立ち尽す、そして我に返り、1歩1歩、前に歩み始める。世界の人々は、死者・不明者が3万人近い被災地に、生きるパワーを送り続けてくれる、その想いを、ひとり一人が受け止め、心に抱いての動きが始まった。

 東日本大震災は、2011年3月11日、午後、突然、発生した。大きく傷ついた心は、癒えないだろう。

 12・8パールハーバー、8・15終戦記念日、1・17阪神・淡路大震災、9・11アメリカ同時多発テロ等と同じように、3・11大震災は歴史の日になった。

 震災騒動の続く3月22日、孫のリュウに、突然、恐怖の病魔が襲った。朝、リュウの顔が黒ずんでいた。症状を見たクリニックの先生は「様子が悪い」と、すぐに救急車を手配、国立小倉医療センターに搬送、Y先生らによる緊急措置が施された。そこで告げられた病名はスティーブンス・ジョンソン症候群だった。皮膚粘膜眼症候群と言う、聞きなれない病名に耳を疑った。原因は主に薬の副作用からだ、恐ろしい病気で100万人に1人、という難病、それもリュウは重症患者だった。

 顔やからだ全体が火傷症状になり、皮膚が剥がれる、そんな恐ろしい状態が続いた。22日は国立小倉、翌23日朝、ドクターヘリで九州大学病院救命救急センターのICUに移された。1分1秒を争う容態に変化した。

 家族が集まり、皆、神に祈った。時間との戦いは3日間と言われた、その時「みんなのパワーを送ります」と、稗田小3年の同級生の「手紙」が届いた。担任M先生の配慮だ、ママが、意識のないリュウにそれを読み、友のパワーを送り続けた。これは夢、夢であってほしい、と願った、が、現実だった。一命は取り留めた。災害では、自然の怒りに、何も出来なかった、3・22孫を奇襲した薬害の怖さに声も出なかった、今、快復し続けるリュウに、人間の脆さと、生きる力の凄さ、尊さ、を教えてもらっている。

 突然の激災と激病に、言葉は、無い、祈るのみである。 


by inakasanjin | 2021-03-05 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)