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晶子が詠む、しのぶ愛

 昭和天皇が崩御された後、元号「昭和」を起草した漢学者・吉田増蔵が各メディアに採り上げられた。吉田の人となりを追う中、彼は、与謝野鉄幹が亡くなった時「追悼の七言律詩を贈った。その漢詩を使って妻晶子が五十六首の短歌を作っている」との記事があった。長年、気になっていた。最近、ネット検索で平成9年に発足した与謝野晶子倶楽部(堺市文化部文化課内)を知り「追悼漢詩」を尋ねるメールを送ると、速やかな丁寧対応で待望の「資料」が事務局から送られてきた。感謝だ。
 与謝野資料は、逸見久美ほか編『鉄幹晶子全集』(勉誠出版)に拠るものだった。鉄幹没後に詠んだ晶子の「寝園」106首の前書きに「故人の五七日に吉田学軒師より(略)詩を賜りたれば、この五十六字を一つづつ歌に結びて詠める」とある。

  楓樹蕭蕭杜宇天 不如帰去奈何伝
  読経壇下千行涙 合掌龕前一縷香
  志業未成真可恨 声名空在転堪憐
  平生歓語幾回首 旧夢茫茫十四年

  青空のもとに楓のひろがりて君亡き夏の初まれるかな
  あな不思議白き柩に居給ひぬ天稚彦と申す神の子
  取り出でて死なぬ文字をば読む朝はなほ永久の恋とおぼゆる
  ありし日と今日を合せて世と云はばうらなつかしくいとはしきかな
  継ぎぬべき志をば説く時も父に似る子が猿楽を云ふ
  わりなけれ似ると思ひし子の声も似ざる声をば聞かんとぞ思ふ
  平らかに今三とせほど十とせほど二十年ほどもいまさましかば
  手をわれに任せて死にぬ旧人を忘れざりしは三十とせの前
 
 歌は55首がならび「香」は縁語的に詠まれ「可」は「べし」で「成」の字は採られず1首なし、何故だか謎。鉄幹(1873~1935)は京都、晶子(1878~1942)は大阪、増蔵(1866~1941)は福岡。3人の交流は島根の森鷗外(1862~1922)を通して深まった。鉄幹、晶子ともに漢詩の師として増蔵を尊敬。歌は、ともに歩んだ夫婦の来し方行く末、人、世を偲ぶ愛を詠み、心に沁む。

by inakasanjin | 2021-02-12 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)