2021年 02月 05日
『令和田舎日記』刊行について
この度、「令和田舎日記」を、田舎日記シリーズ四冊目として刊行できました。
これまで『田舎日記/一文一筆』(108篇=書家・棚田看山と共著/2014年)と『田舎日記・一写一心』(108篇=写真家・木村尚典と共著/2016年)そして『平成田舎日記』(365篇=単独/2019年)を読んでいただいている。2008年から書き継ぐ千字文を纏めたものだ。今回の『令和田舎日記』も365編を収めたものだが、全て「令和」に書いたものではなく「平成」に書いたものも合わせて収録した。
好きな俳句に「去年今年貫く棒の如きもの 虚子」がある。過ぎた年も、今、生きる年も、やがて来る年も、決して途切れることはない。時は永遠、で、繋がり続ける。
「令和」を生きる「今」刊行する書籍だから『令和田舎日記』とした。
10年ひと昔という。暮らしの中で「田舎日記」を書き継いでいる。1日の起床から就寝までの「1日日記」と並行して、3日に1篇の「田舎日記」を書き継げるのは、いかにヒトやモノ、コトを知らないかの証だとも思う。あれもこれも、いろんなものが、ああそうだったのかと、まさに〝学び直し〟の日々である。どうでもいいことかもしれない、が、ちょっとした言葉に魅かれ、調べると、どうでもいいにはならない。不思議と引き込まれていく。さりげない暮らしの中で、あれっ、と思う瞬間がよくあり、辿れば、意外に大切なものが隠れていたりする。こうした想いができるのも、海や川、野や林、森がすぐそばにある「田舎ぐらし」によって培われたものかも知れない。ごく当たり前のことだが、私たちは、めぐりくる季節によって日々の変化の新鮮さを感じてきた。
しかし、今、その自然の大事な営みのサイクルを忘れているような気がしてならない。
最近、田舎の良さ、田舎の強さを改めて考えさせられる事象に遭遇したと思う。コロナウイルスの感染は「都会」の広がりに比べ「田舎」への浸透は抑えられていた。これは自然力の強さかも知れない。すでに「都会ぐらし」に見切りをつけて「田舎ぐらし」にシフトする動きも始まった。生活に不便だといわれる「田舎生活」が、いかに自然が人間を包み、守るいい環境を保っているかをウイルスが教えてくれたのでは、と思う。
生きて残せるものがあるとするなら歩いてきた道の言葉だろう。良寛、ガラシャ夫人の辞世に、その究極の思いをめぐらすことができる我が国の風土と人に感謝したい。
裏を見せ表を見せて散る紅葉 良寛
散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ ガラシャ夫人
言葉に生き、ことばで暮らし、言葉を遺せる営みがあるのをありがたく思う。