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行橋の「稲荷座」お茶子の話

 昔話に花が咲く、というけれど思い出を語る人の目は優しい、本当に楽しみながら喋ることばには、張りもあれば艶もある、まさにその人の人生が凝縮されて聞き惚れる。福岡県行橋市で昭和45年(1970)に無くなった劇場の稲荷座。そこのお茶子の話を思い出す。

 昭和10年じゃったですよ。白川吉太郎さんが行事に「都座」ちゅう劇場を持っとって、それが焼けたんで行橋郵便局のところに「稲荷座」をつくったですけねぇ。大きなお城んような造りで、そりゃーぁ目立ちよったですよ。何本も幟が立って、賑やかじゃったですけねぇ~。舞台は朝、昼、晩の3回起こしよりましたが、いつもたくさんお客さんが来てくれましたけね。うちの人は〝大勘定〟ちゅう今の劇場の支配人ですかねえ、役者さんの引き受けからお金の支払いまで、ぜ~んぶ、うちの人がしよりました。わたしゃ〝お茶子〟ちゅうて、座布団を配ったり、菓子売ったり、劇場の掃除をしたりする仕事でしたけねぇ~。若い時分から1年中、休みなんちゃ、いっこもない、お茶子ばっかしの人生ですよ。

 稲荷座の舞台を踏んだんは、歌舞伎俳優の松本幸四郎さんや尾上松緑さん、浪曲の広沢虎造さん、長谷川一夫や三波春夫、春日八郎、美空ひばり、そりゃーもう、思い出せんほどおります。今、テレビにでちょる歳とった俳優さんは、みぃ~んな踏んじょりますよ。そう、そう、あの歌い手の村田英雄さんは、白川吉太郎さんが引受人になって稲荷座が初舞台やったですけねぇ。歳は15くらいやったでしょうか、師匠の酒井雲さんに連れられ、かすりの着物を着て舞台に出よったのを覚えちょります。うちの人たちから「がんばれ~」と声を掛けられよりましたよ。行橋の稲荷座ちゃー、有名なとこやったですけね~、なんか、こう、威厳ちゅうもんがあったですよ。飯塚の嘉穂劇場ですか、あすこよりは一回り大きかったような気がしちょります。昭和19年に稲荷座を買うた佐々木さんが、戦後は続けよりましたが、テレビが流行り出したんは、昭和30年頃ですかねぇー、やっぱあ、お客が入らんごとなったですね。劇場が崩れるんを、じっと見よって涙が出てきましたよ。わたしらみたいなお茶子だけしかしてこんもんに、劇場がのおなってから何ができるちゅうですか。

 これは40年前に訊いた話である。老婦人の語った記憶を記録に残しておくことも大事だろう。人それぞれの襞に刻まれた記憶を掘り起こすことも歴史を伝えることになる。


by inakasanjin | 2021-01-22 09:00 | ふるさと京築 | Comments(0)