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九州が起源なのか「君が代」は

 国歌の「君が代」は、平成11年(1999)の「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国の歌として法制化された。歌詞は平安時代の『古今和歌集』の和歌の1つで、作曲は明治13年(1880)イギリス陸軍のジョン・フェントン隊長によってつくられ薩摩藩の軍楽隊「薩摩バンド」が向島で明治天皇を前に披露したのが最初だといわれる。

  君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで明治36年(1903)ドイツで開かれた「世界国歌コンクール」で1等を受賞したという歌の歴史を追うと、九州が起源なのか「君が代」の足跡がいくつも残っている。

 まず歌詞だが、初出は聖徳太子が命じた秦河勝編纂『先代旧亊本記大成経』(620)の歴史書にあるとされ、読み人は不明。次に紀貫之編纂『古今和歌集』(912)に出て石位左衛門の詠みといわれるが、官位がなかったために「詠み人知らず」となったようだ。また藤原公任編纂『和漢朗詠集』(1018)にも載る。

 ところが金印(漢委奴国王印)発見(1931)の福岡県志賀島にある志賀海神社の社伝には、神功皇后が三韓出兵の際、食前で山誉の神事が行われ、古くから伝わる神楽歌「山誉め祭」(県指定有形民俗文化財)が舞われた。その中に「歌」の記述がある。


 君が代は千代に八千代にさざれいしのいわおとなりてこけのむすまで 

 あれはやあれこそは我君のみふねかや(略)志賀の浜長きを見れば幾代経らなむ香椎路に向いた  

 あの吹き上げの浜千代に八千代まで 今宵夜半につき給う御船(略)(―山誉め祭)


 また糸島一帯には、千代の松原の「ちよ」があり、細石神社の「さざれ石」と遺跡周辺には「いわら=いわお」の地名も残り、若宮神社には「苔牟須売神=こけむすめ」が祀られているなど神社・地名・祭神全てが揃っている「糸島」が歌のルーツだろうか。

 明治に入って、イギリス公使館から「国歌か儀礼音楽を設けるべき」との進言で薩摩藩大山弥助(巌)は戦国武将の島津忠良(日新斎)作詞と伝わる薩摩琵琶の「蓬莱山」の「目出度やな君が恵みは久方の光りのどけき(略)峯の小松に雛鶴棲みて谷の小川に亀遊ぶ君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで(略)仁義正しき御代の春蓬莱山とは是とかや(略)」の一節を薩摩藩軍楽隊に渡してメロディーが生まれたとされる。


by inakasanjin | 2021-01-15 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)