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あらためて上杉鷹山 

 アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディの就任演説で「……国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか……」は、出羽国米沢藩(山形県)第9代藩主・上杉鷹山(1751~1822)の「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」に由来すると云われる。

 この伝えを裏付けたのは、平成26年(2014)9月、米沢市で開かれた「なせばなる秋まつり」にキャロライン・ケネディ駐日大使が親族、友人らとプライベート旅行で参加、歓迎の人々に「父は『一人でも世の中に変化をもたらすことができる。皆やってみるべきだ』とよく言っていた。鷹山公ほど端的にそのことを言い表した人はいない」と挨拶をした。そのあと「なせばなる」の日本語でスピーチを締めくくった。

 上杉鷹山は戦国武将・上杉謙信から10代目、初代米沢藩主・上杉景勝から9代目にあたり、明和4年(1767)17歳で家督を継ぐが、借財20万両(約200億円)の財政難は洒落巷談にも登場するほど庶民に知れ渡っていた。江戸での生活を切り詰め、奥女中50人を9人に減らすなど藩士、農民を問わず倹約奨励を徹底。一方、学問所を再興し身分を問わず学問をさせた。様々な改革を推進、破綻寸前の藩財政再建の道筋を付けた。

 天明5年(1785)35歳で家督を譲って隠居するが、逝去まで藩政の後見役を担った。家督を譲るに際し、藩主の心得として「伝国の辞」を与えた。


  一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候

  一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候

  一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候


 享和2年(1802)52歳で剃髪、米沢市の西に位置する白鷹山(しらたかやま=994㍍)から名を採り「鷹山(ようざん)」とした。鷹山の再建も一考だが、愛の治世方針に基づき寛政7年(1795)に「公娼廃止」の法令を出している。民政推進の藩主として、あらためて上杉鷹山を想う。

 ところで「為せば成る……」は、先祖が敵対した武田信玄の「為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなき」に因るそうで、名武将の心は生き様において敵味方違うこと無し、で、歴史の妙を思う


by inakasanjin | 2020-12-18 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)