2020年 11月 20日
古代の大ロマン追う学芸員
福岡県みやこ町の「博物館だより」に載る古代ロマンを追う学芸員の一文に魅かれた。タイトルは「みやこの歴史発見伝」シリーズの「令和とその時代/みやこのダム物語」だ。
町教委の井上信隆学芸員(47)の執筆。これまでの調査で、みやこの地に「こんな遺産が眠っていたのか」という驚きの貴重な報告だ。国内3例の「古代のダム」と、そこの出土品で、国内で2個という木製の「栓」だ。身近な珍しい「遺跡」を追ってみる。
みやこ町の北西にある勝山「池田遺跡」の水田から「木樋」が出土した。それに土を互層に固めた「ダム提」も発見、基礎に枝葉を敷き詰めた「敷粗朶」も確認された。また堤に直交する幾つもの木柱も残るなど「日本最古のダム式溜池」とされる狭山池(大阪府狭山市)と薩摩遺跡(奈良県高取町)に似る形状で、九州では唯一の「古代ダム」とみられる。さらに重要な出土品としてクリの木でつくられた長さ36㎝、幅24㎝、把手の長さ7㎝の精巧な「木栓」がある。木栓は、池からの取水の際、水量調節をするもので、国内では薩摩遺跡と池田遺跡の2ケ所からの出土のみ。とくに池田遺跡の取水施設は細部構造までが確認できる重要な事例と言われる。
ところで、大坂の狭山池は『古事記』や『日本書紀』にも登場する古代ダムとして知られる。池そばの博物館では、古代から現代までの池の歴史が学べる。施設の工楽善通館長は、古代の土木技術に精通し「池田遺跡発掘調査」に注目された。この遺跡が韓国や中国の「溜池」の技術と共通しており『日本書紀』に「諸の韓人等を領いて池を作らしむ」の記述に沿う朝鮮半島からの渡来人によって築かれたのではないかと指摘する。それは遺跡付近にある「加廊戸池(からといけ)」が『日本書紀』の「韓人池(からといけ)」の遺称ではとの見解だ。1300年前の姿が現れようとしている。
みやこ町の北には「胸の観音」、南には「蛇渕の滝」と「龍伝説」があり「ダムと龍」と人のかかわりも深い。そして豊前国は、古代都市国家も想定される地として、平安時代の『和名類聚抄』には一部地域を「京都(美夜古)」と記す。小さなダムの池田遺跡は、みやこの大地に隠れていた「国の宝」と言っていい遺産。大きな夢ある代物だ。今後、学術調査が進むにつれ、歴史認識の大転換をしなければの大ロマン抱く郷土遺跡ではあるようだ。
隠れた遺産調査に向かう学芸員の目は正しい歴史を掘り下げていくだろう。