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ロケで柿の木を移した

 あすこに柿の木が欲しい、な……今村昌平監督のプラットホームでの呟くような一言が、我が家の柿畑から実のついたままの大きな柿の木を移すことになった。

 昭和53年(1978)夏。今村監督はカメラマンや技術のスタッフら数人で行橋市役所に来た。映画「復讐するは我にあり」のロケ準備のため、市長に協力要請の訪問だった。当時、市の広報担当をしていて窓口になるよう指示され、2週間余のロケ隊世話役は貴重な体験になった。スタッフの宿泊案内から器材の調達、撮影場所で関係者への説明、了解など、ロケに係わるさまざまなことにあたる現地案内人の役割は意外に多かった。で「クランクインは行橋」といい、この地域では初の本格的な映画撮影だったこともあり、物珍しさも加わってか、様々な交渉事はスムーズに運んだ。

 市役所への初訪問後、スタッフとともにJR日豊本線・苅田駅に行った。最初の殺人が起きる場所で、榎津巌(緒形拳)が専売公社集金人(殿山泰司)をカナヅチで殴り殺すのが、駅裏のダイコン畑だった。皆でホームに立ち、駅裏の畑に通じる竹藪に細い道が登っているのを眺めていて、監督の「あすこに柿の木」発言になった。それで、柿の木が要るのであれば「我が家の柿畑に渋柿がありますが」と言うと「渋柿がいい」と監督。それで柿の木を移すことになり、その年、柿はそのままにした。

 秋、11月撮影開始。柿の木を藪そばの小道に移すため、知り合いの庭師に移設を頼んだ。何本も並ぶ中から1本を選び、根本から伐りトラックに積む。実のついた柿の木が道路を走るのだから皆が振り返った。現地で指示通りに柿の木が据わった。で、映像だが、人を殺した榎津が逃走開始の場面で、血の付いた手を自分の小便で洗い、一息、そばにある柿の実を採ってガブリ、だが渋いため投げ捨てるシーンになった。  

 昭和38年、5人を殺害して日本中を逃走した殺人鬼・西口彰をモデルにした佐木隆三のノンフイクション小説『復讐するは我にあり』(74回直木賞)の映画化。今村監督、起死回生の10年ぶりの作品。クリスチャンだった榎津は協会から破門された。榎津処刑後「山頂から空に向かって散骨する」父(三国連太郎)と妻(倍賞美津子)の姿には、いい知れぬ寂しさがある。作品は第3回日本アカデミー賞最優秀賞を受賞。監督や映画スタッフの動きを垣間見てワンシーンに賭ける凄さを膚で感じた。


by inakasanjin | 2020-10-23 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)