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アイヌの夭折天使・知里幸恵

 言語学者の金田一京助(1882~1971)は、北海道登別市出身のアイヌ人女性・知里幸恵(ちりゆきえ1903~22)を「天が私に遣わしてくれた、天使のような女性」と記す。金田一のアイヌ研究の原点の人物のようだ。
 彼女は6歳の時、旭川市の伯母のもとで育ち、和人と同じ小学校に通ったが、後、アイヌ人のみの学校に移り、成績優秀で実業学校まで進学、日本語もアイヌ語も堪能だった。
 15歳の時、アイヌの伝統文化を記録するとして金田一が幸恵の家に来た。幸恵の祖母がアイヌの口承の叙事詩(カムイユカラ)の謡い手だった。カムイユカラは「文字」を持たないアイヌ人にとって価値、道徳、文化の継承には重要なものだった。
 幸恵は生活のそばにカムイユカラがいつもあった。祖母らに話を訊く金田一の姿に幸恵は畏敬の念を抱いた。
 17歳、金田一からカムイユカラを「文字」にして残そうとノートが送られてきた。その要請を幸恵は素直に受けて「アイヌ語」から「日本語」への翻訳作業にかかった。
 彼女は纏めたノートを金田一に送ると『アイヌ神謡集』として出版しましょう、との連絡で上京、金田一家で草稿執筆を開始。そして原稿を書き終え校正も済ませた大正11年(1922)9月18日、心臓麻痺で彼女は急逝。19歳だった。
 この世に貴重な1冊を遺して逝った彼女の著書の「序」が素晴らしい、抄録する。 

 「その昔この広い北海道は、私たち先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。(略)愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか、おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書連ねました。(略)読んでいただく事が出来ますならば…… 大正一一年三月一日 知里幸恵」と記す。

 フランスのノーベル文学賞作家ル・クレジオは、2009年、北海道大学で「私の文学と先住民族文化」来日講演の折、登別市にある「幸恵の墓」を訪ねたと言われる。

by inakasanjin | 2020-09-04 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)