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清少納言と紫式部の娘

 平安時代、長徳2年(996)に清少納言の随筆『枕草子』、寛弘5年(1008)に紫式部の小説『源氏物語』が登場した。中宮定子に仕えた清少納言と中宮彰子のそばに居た紫式部ふたりの女房が遺した〝古典文学〟は千年を超えてなお日本人の心に刻まれ続ける。
 ここに古びない二作品の「冒頭」の美しい「落葉」を拾ってみる。

  春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
  夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。……―『枕草子』

  いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり……―『源氏物語』

 ところで藤原定家が京都の小倉山の山荘で秀歌を一人一首選んだ『小倉百人一首』は歌道の入門編として知られる。それには男性七九名、女性二一名の歌が「古今和歌集」「新古今和歌集」から収載されている。その中に紫式部と清少納言の和歌が載っている。

  57 めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな 紫式部
  62 夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ    清少納言

 さらに調べると藤原宣孝と紫式部の娘・賢子(かたこ)は、後に大弐三位(だいにのさんみ)となるが、女流歌人として活躍し『小倉百人一首』に母とともに名を残す。

  58 ありま山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする      大弐三位

 また大弐三位は『新古今和歌集』などに記される歌が多く残る。二首を記す。

  待たぬ夜も待つ夜も聞きつほととぎす花橘のにほふあたりは
  つらからむ方こそあらめ君ならで誰にか見せむ白菊の花

 一方、藤原棟世と清少納言の娘・小馬命婦(こまのみょうぶ)は、歴史の表舞台に出ることのない生涯を送ったようで『後拾遺和歌集』に載る歌が、ただ一首のみ残る。

  その色の草とも見えず枯れにしをいかに言ひてか今日はかくべき     小馬命婦

 悲劇の中宮定子を支えた清少納言の「陽」に対して栄華の中宮彰子そばの紫式部は「陰」の作風だと言われる。この才女の娘は、それぞれ中宮彰子の女房として共に出仕する不思議な縁があるようだ。が、宮中では二人の交流があったのか、どうかは定かではない。

by inakasanjin | 2020-08-28 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)