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花も花なれ人も人なれ

 細川ガラシャ(伽羅奢/1563~1600)は、越前で明智光秀と妻木煕子との間に生まれた。名は玉(珠)だが、洗礼名がよく知られている。彼女の生涯を追い、歌を掬う。
 天正10年(1582)に父・光秀が織田信長を討った「本能寺の変」以降「謀叛人の娘」となった。元来、彼女は戦国時代には珍しいおしどり夫婦と云われた光秀と煕子との温かな家庭で育ち、父の主君・信長の命令による「主命婚」として細川忠興の正室となっていた。
 だが、父の「謀叛」後は丹後に幽閉されるなどしたが、キリシタンだった侍女の清原マリアなどの献身的な支えがあって生き延びた。後、忠興から聞く高山右近などのカトリックの話に魅かれた。そして密かに恩寵、神の恵の意を持つ「ガラシャ」の洗礼名を受けた。

  忘れむと思ひすててもまどろめば強ひて見えぬる夢のおもかげ
  さだめなき心と人を見しかどもつらさはつひに変らざりけり
  いつはりと思ふ契りをせめて身の慰さむかたにたのむはかなさ
  さりとだに人は知らじな同じよのたのみばかりにながらふる身を
  身をかくす里は吉野の奥ながら花なき峰に呼子鳥啼く
  なびくまじ我ませ垣の女郎花あらぬ方より風は吹くとも
  露をなどあだなるものと思ひけんわが身も草に置かぬばかりを
  先立つは今日を限りの命ともまさりて惜しき別れとど知れ

 戦乱の世で忠興と石田三成が敵対。大阪の細川家にいるガラシャを人質にと、三成は屋敷を囲んだ。しかし細川家老の小笠原秀清は、自殺を禁止するキリスト教のため、ガラシャを介錯、遺体が残らぬよう屋敷を爆破、炎上させて自刃した、という壮絶な最期だった。 
 ところで松尾芭蕉に「月さびよ明智が妻の咄せん」という句がある。これは「煕子」を詠むもので、女性を詠んだ唯一の句だといわれる。それほどにガラシャの母は素晴らしい女性だったようだ。この母にしてこの娘あり、だ。父(光秀)と夫(忠興)と自らの辞世。 

  心しらぬ人は何とも言わば謂え身をも惜しまじ名をも惜しまじ  明智光秀
  皆共が忠義戦場が恋しきぞいづれも稀な者どもぞ        細川忠興
  散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ     ガラシャ

 ところで、細川護熙元首相の「護熙」の「煕」はガラシャ夫人の母からであろうか。


by inakasanjin | 2020-08-21 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)