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三途の川幅は400キロメートル

 お寺の住職さんの説教が面白い。90歳を超える姑が水泳教室に通い始めて「かなり泳げるようになった」と喜び「三途の川は泳いで渡るから銭はいらない」と嫁に伝えたという。嫁は、姑の指導コーチに「ターンだけは教えないで下さい」と頼んだそうだ。
 お婆さんの元気っぷりはいいが、三途の川が簡単に泳いで渡れるものか調べてみた。
 人は亡くなって7日目に此岸と彼岸の境にある三途の川を渡るという。生前の罪の重さで渡る場所が決まるそうだ。善人は金銀七宝橋を歩き、軽罪人は浅瀬の山水瀬(さんすいせ)を行くが、重罪人は大蛇が棲む急激流の恐ろしい強深瀬(ごうしんせ)を渡る。
 また三途の川の畔には衣領樹(えりょうじゅ)の大樹があり、奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)という鬼の老夫婦がいて罪の重さを量るという。江戸時代に「六文銭」を出せば「罪を反省、仏に帰依、信心」の証だとして地獄には行かないとされた。
 ところで、冥土に行く途中の「三途の川」の川幅は「どれくらい」かと、古文書を捲ると「40由旬」だという。由旬(ゆじゅん)は、古代インドの距離の単位で牛車が1日に進む距離で10㎞前後だというから400㎞になるようだ。冥土までは長い道のりだ。
 平成時代の自殺者数を見ると、平成15年(2003)の34427人をピークに年々減少してはいるが、30年は20840人が自らの命を絶っている。現世の苦しさもあろうが、死して尚「三途の川」を渡るのに400㎞の難行を思えば「自殺」は止めるべきだ。
 また「三途の川」には、親よりも先に逝った子どもらが集って「親の供養のための小石を一つ一つ積んで」塔を造る「賽の河原」にでる。子らが石を積んでも、積んでも鬼に壊されてしまう、が、石を積み続けていると、やがて地蔵菩薩に救われるという。冥土への旅の途中で泣きながら「石供養をする我が子」と出合うかもしれない。あの世だから解らない。
 人間は輪廻転生。迷いの六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)で生まれ変わり死に変わりを繰り返している。そして人間が人間に生まれ変わるには、釈迦が『涅槃経』に「人趣に生まるるものは、爪の上の土のごとし。三途に堕つるものは、十方の土のごとし」と記すように、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)の戒律を守り続けなければならないと伝わる。そう、あの世にいったとしても、また、この世で生きるのかもしれない。

by inakasanjin | 2020-08-14 09:00 | 田舎日記 | Comments(0)