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命もいらず、名もいらず

 最近の政治家はどうなっているの?と言いたい。お粗末の究極は、菅元総理が安倍現総理を訴えるという?前代未聞の破廉恥な珍事象が起こった。福島原発の対応を巡る事実誤認で「名誉を傷つけられた」と、簡単に言えば「言った、言わない」の発言で名誉毀損?の、訴えをおこした?ようで、情けない。被災地の「対応を巡る」のであれば、今、被災地の方々に対し政治家として、もっと、自分の身を挺する、何か、取り組みが在ってしかるべきだ。自分が、どうだ、こうだ、ではない。
 真の政治家は、私心なく、国の民を思い、国の形をいかに造っていくかだろう。 幕末、明治の政治家であり思想家、剣・禅・書の達人として名を残す人物に山岡鉄舟がいた。彼は勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と言われた。 鉄舟は、天保7年(1836)江戸本所に生まれ、9歳より剣術に親しみ千葉周作、山岡静山などから剣、槍術を学ぶ。禅は徳川家が保護してきた長徳寺(埼玉県川口市)の順翁住職の教えを受け、書は飛騨高山の書家・岩佐一亭の流れを継いだ。 慶応4年(1869)2月11日、徳川慶喜は、江戸城重臣会議で朝廷に恭順の意を示し、勝海舟に全権委任、上野寛永寺に謹慎。この状況を、海舟は西郷隆盛に伝える書をしたため、鉄舟を使者で送った。それに対し西郷は5条件を提示した、が「将軍慶喜を備前藩に預ける」だけは「あなたは島津候が同じ立場だったら、この条件は受け入れないはず」だと、鉄舟は、西郷に伝え、拒んだ。西郷は、それを認めた。そして勝と西郷の会談にも立ち合い「江戸無血開城」への道筋をつけた。
 明治維新後、鉄舟は駿府に下り、清水次郎長と意気投合、廃藩置県に伴う新政府に出仕。明治5年から10年間、西郷との約束で宮中の侍従として明治天皇に仕えた。 西郷は鉄舟を評して『西郷南洲遺訓』に次のように記している。

  命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。
  此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 鉄舟は、井上馨に「維新のしめくくりは、西郷とおれの二人であたった、お前さんなんかふんどしかつぎじゃ」と喝破。大変動時代を生きた身長6尺2寸(188㌢)体重28貫(105㌔)の巨漢の心には、日本人の守るべき武士道があった。

by inakasanjin | 2020-07-24 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)