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「奇兵隊」と「海援隊」

 幕末の動乱期、長州藩に「奇兵隊」、土佐藩に「海援隊」が生まれた。新時代に向かう動きの中、それぞれに熱い部隊が結成された。命を懸ける戦いを時代が要請したようだ。

 文久3年(1863)の下関戦争(長州藩と英・仏・蘭・米列強4国との武力衝突)後、長州藩は高杉晋作(1839~67)の発案で身分に因らない「有志」を募った。武士や農民ら622名の志願兵が集った。混成隊は「正兵」に対する「奇兵」として「奇兵隊」と名付けられた。
 主要メンバーは、諸隊対立で隊士惨殺事件の責めを負い、3ケ月で総督を辞した高杉の後を山縣有朋が継いだ。また池田屋事件で新撰組の刃に倒れた吉田稔麿や禁門の変で戦死した入江九一、宮廷建築に携わった建築家の片山東熊など多士済々の人材が名を連ねている。
 隊の動きを追うと、高杉が隊を創設後、山縣が実質リーダーとして隊を率いた。長州藩は幕府の「朝敵」とされ「長州征伐」が行われた。しかし奇兵隊ほか大村益次郎、山田顕義などの指揮下で戦い、長州は幕府を圧倒した。後、諸部隊は政府軍として戊辰戦争で幕府軍と戦った。慶応3年(1867)春、高杉は肺結核で夭折。その秋、大政奉還。明治2年(1869)藩内諸隊は再編され、6年余り活動した奇兵隊の姿が消えた。

 慶應元年(1865)から3年余、土佐藩を脱藩した坂本龍馬(1836~67)は、幕府機関の神戸海軍操練所解散の後を受け、薩摩藩の支援で海運交易などを行う「亀山社中」を長崎に設立。兵器取引から教育を含め近代的な商業活動を開始。国事にも奔走した。薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允(桂小五郎)を結んで薩長同盟締結に大きな役割を果たした。
 慶応3年、龍馬が土佐藩から脱藩が許されると「亀山社中」は土佐藩が引き継ぎ「海援隊」となった。
 主な隊士は、龍馬が隊長で指揮は佐々木高行、事務は長岡謙吉。緒方洪庵に学んだ石田英吉ほか紀州藩士の陸奥宗光、初代衆議院議長の中島信行がおり、越前、越後、讃岐などから30余名が参画。中江兆民の名も見える。隊発足の年、京都の「近江屋」で龍馬、中岡慎太郎、山田藤吉が殺害された。以降、隊の士気も下がったが、土佐藩士・後藤象二郎の要請で土佐の地下浪人の子として生まれた岩崎弥太郎が「海援隊」の事務業務全般を引き継いだ。そして日本初の商社「亀山社中」は日本最大の「商社」へと飛躍していった。
 慶応3年、高杉晋作と坂本龍馬が亡くなった。日本のターニングポイントかも知れない。


by inakasanjin | 2020-07-17 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)