人気ブログランキング | 話題のタグを見る

8月や6日9日15日 

 5・7・5の17文字の俳句。何百万人も句を詠む人がいるというが、おなじ17文字がどこかにあるのでは、と常々思っていた。その「先行句あり」を「それは誰だろう」と追った小林良作著『8月や6日9日15日』(「鴻」発行所出版局)を読むことが出来た。
 小林さんは「8月の6日9日15日」の句を結社の俳句大会に応募。すると先行句があるとの連絡を受け取り消した。ただ「の」や「は」「や」の違いだけで、同じ思いの方がいる、それも何人もいる。彼の探求心が湧き「最初の詠み人」捜しの旅が始まった。
 まずネット検索、全国各地の俳句結社や新聞社などで「句探し」をすすめ、大分県の特攻隊基地の跡地公園に「8月や6日9日15日」を刻む句碑があると聞き、訪ねた。
 3つの日付を詠み込む句は、単純で簡単、だがズバリ現代史を象徴する。だから人間の発想に「同じ思い」の人々が居てもおかしくはない。ところが、これが「作品」として動き出すと、そうはいかなくなる。それを純粋に追った小林さんに敬意。そして「句」の作者が広島県尾道市で医師をしていた諫見勝則さん(1925~2014)と突き止めた。
 諫見さんは、長崎県諫早市出身で、昭和18年(1943)江田島の海軍兵学校に入校した後、広島の原爆を体験。昭和21年、未だ原爆廃虚の中の長崎医科大に入学。そして25年、医師としてのスタートは長崎からだった。戦後、長崎と尾道で被爆者の診療にもあたったといわれる。広島、長崎、終戦の「8月や6日9日15日」は、平成4年(1992)に諫見さんが最初に詠んだ、と小林さんの調査で判明。作句者が原爆に関わる人物だったことの意味は重い。だから「の」ではなく「は」でもない「や」なのだろう。
 ネットの俳句データーベースで栃木の荻原枯石による「句」との記述もあるが、やはり諫見医師による実体験に基づくであろう句づくりに軍配を上げたい。また、この「句」は永六輔さんがラジオ番組で紹介したこともあり、広く知られるようになったと言う。
 尾道で医院を引き継ぐ諫見康弘氏は「句は、父が診察室に掛かるカレンダーを〈ある想い〉で見つめていて、ふっとでてきた言葉」だったというが、句を追った小林さんは「6日」「9日」「15日」が、如何に「単なる追憶の日付ではない」深く、重い「日」であるか、を記した。言葉が簡素だからこそ、誰もの心にグサリと突き刺さり、残る。

by inakasanjin | 2020-06-19 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)