2020年 06月 12日
平安の祈り
あるグループのミーティングの終了に参加者全員で唱和する言葉が身にしみた。不思議と気持ちが和らいだ。言葉が届く、という感じだ。それは「平安の祈り」だった。
神さま 私にお与えください 自分に変えられないものを受けいれる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を そして 2つのものを見分ける賢さを
皆で言葉を言い終えると、会議は解散になる。ところが、この言葉には続きがあった。
今日1日を生き この一瞬を享受し 苦しみを平和に至る道と受け入れますように
この罪深い世界を 私ではなく 神さまの御業として あるがままに受け止めますように
神さまの意志にゆだねれば すべてをあるべき姿にしてくれると信じられますように
私はこの世を生きて幸せでしょう 神さまと共にあることに
このうえない幸せを感じることができますように 永遠に アーメン
「平安の祈り」は、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892~1971)の言葉だ。彼は政治や社会問題について意見を発し、多くのリベラルに影響を与え「現実主義的」なアメリカの対外政策を後押ししたという。また渡辺和子さん(1927~2016)は、36歳で岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に就任後、若く未経験の事柄や学長の重責で、苦労も多かった。挨拶してくれない、解ってくれないなど「くれない族」となり、思い悩んでいた時、ニーバーの詩「置かれた場所で咲きなさい」に救われたという。
置かれた場所で咲きなさい。仕方がないと諦めるのではなく、人生の最善を尽くし、
花のように咲くことです。咲くことは、幸せに生きることです。
あなたが幸せになれば、他の人も幸せになります。あなたの笑顔が広がっていきます。
あなたが幸せで、それをあなたが笑顔で示せば 他の人たちもそれがわかり、
幸せになります。神はあなたを特別なところに植えたのです。
もし、あなたが他の人たちと分かち合うことを知れば、あなたの人柄は輝きます。
「輝く」ことを「咲く」というのです。神がわたしを置いた場所で私が花開くとき、
わたしの人生は人生の庭で美しい花になるのです。置かれた場所で咲きなさい。
人は苦しむからこそ生きてゆく言葉を探し、見つけて心に刻む。必ず、苦が生を生む。
by inakasanjin
| 2020-06-12 09:00
| 田舎日記
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