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天覧歌舞伎の責任者

 ――外務大臣井上馨伯爵夫人は声をひそめ、重々しい口調で「成田屋さん。これはまだ内々のことなのですけれど、わたくしどもの邸の茶室開きにお上の行幸を仰ぐことになりました。そのさい、こちらの末松さんのおすすめもあり、お芝居を天覧に供したく存じております。それで、成田屋さんに末松さんとご相談のうえ、ご準備いただきたいのです」
 「天覧……でございますか」団十郎の声が、うわずっている。――

 これは小坂井澄『団十郎と「勧進帳」』の一節「誉れの天覧」の中の記述。
 末松さんとは、豊前国前田村(現行橋市前田)生まれの末松謙澄(1855~1920)で伊藤博文の娘婿、内務、逓信大臣などを務めた人物。鹿鳴館時代の明治19年(1886)西洋のオペラに対抗できる舞台芸術として歌舞伎に注目し、演劇改良運動を興した人でもある。
 明治9年に能楽、19年に相撲が天覧の栄を受けたことから歌舞伎界も天皇の観劇を熱望していた。その意向を伊藤と井上が受け、内務省参事官の末松に指示、井上邸茶室移築の披露目に天皇招待が秘密裏に進められた。

 歌舞伎は、戦国時代から江戸初期にかけて京や江戸に流行った派手な衣装や一風変わった異形を「かぶき者」と言い「かぶき踊り」が慶長年間(1600年前後)に一世を風靡、これが「かぶき」で、動きや装いを取り入れて歌舞する女の意であり、江戸時代は「歌舞妓」だったが、近代になって「歌舞伎」になったといわれる。

 明治20年4月26日から29日まで麻布烏居坂の井上馨邸で明治天皇の行幸、皇后、皇太后の行啓、各国公使を招いて歌舞伎の「勧進帳」「操三番叟」「仮名手本忠臣蔵」などが上演された。
 天皇の「近頃珍しきものを見たり。能よりかは分かりやすく、特に高時の舞は面白し」とのお言葉も残り、4日間にわたる天覧歌舞伎は大成功だった。末松は、天覧劇の総舞台監督として各演目や出演者等を決める責任者だったようだ。
 その後、歌舞伎は、天皇の上覧を賜ったことで社会的地位も向上、我が国を代表する演劇である認識を高める役割も果たした。そして国劇の殿堂としての歌舞伎座竣工が明治22年になった。平成19年(2007)明治の天覧歌舞伎120年記念公演として「勧進帳」が国際文化会館(旧井上邸跡)で行なわれ、天皇、皇后両陛下が来臨された。
 伝統の歌舞伎の技が伝われば、観覧の心も確実に継がれている。

by inakasanjin | 2020-05-29 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)