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花のいのちはみじかくて

 作家の林芙美子(1903~51)と言えば、すぐに小説『放浪記』と「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」のフレーズが思い出される。この「花のいのち……」は格言でもなく歌でも句でもない。ただ芙美子は求められれば、この言葉をしたためたという。
 今「花のいのち」は彼女を超えた存在として広く膾炙されているようだ。ところが、この言葉の出典はどこなのか、長い間、議論が続いていたようだが、ようやく決着がついた。

    風も吹くなり 雲も光るなり 生きてゐる幸福は
    波間の鷗のごとく 漂渺とたゞよひ
    生きてゐる幸福は あなたも知ってゐる 私もよく知ってゐる
    花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど
    風も吹くなり 雲も光るなり

 謎だった言葉は、芙美子と交流のあった『赤毛のアン』翻訳者の村岡花子(1893~1968)に贈られた言葉の中にあった。村岡さんの遺族宅書斎に「芙美子自筆の全文」が額に入って飾られていたという。時が経てば謎は謎でなくなってくるようだ。
 彼女は下関生れと言われていたが、近年、北九州の門司生れ説が浮上、戸籍は鹿児島となっているようだ。旅商いの両親について各地を転々としたが、文才を認められて尾道高等女学校(現尾道東高校)へ進学、18歳から地方新聞に詩などを投稿していた。
 上京後、25歳の時、長谷川時雨主宰の女人芸術誌に自伝的小説「放浪記」を連載。後、出版した『放浪記』は底辺の庶民を活写する作品として評判をとり、小説は売れに売れ、流行作家となった、が、貧しい生い立ちだったため、貧乏を売り物にする成り上がり小説家だとか、軍国主義を吹聴する政府お抱え作家などの誹謗中傷が飛び交い、批判の的になった。
 彼女は波乱万丈の生涯を送り、昭和の名作となる『浮雲』脱稿後、40代の若さで生涯を閉じた。

 彼女の生き方から「花のいのち」の最後「多かりき」は嘆き、悲しむ諦観の感無きにしも非ずだが「多かれど」であれば、何かあるのでは、と夢や希望を抱ける楽しさが湧く。やはり「き」より「ど」がいい、人生いろいろのフレーズにはピタリくる。しかし、天性の明るさを持つ芙美子の「き」には、貧しさを超えて「それでも生きる」女の覚悟があるようだ。

by inakasanjin | 2020-05-15 09:00 | 文学つれづれ | Comments(0)