人気ブログランキング | 話題のタグを見る

昭和天皇の涙

 平成27年(2015)8月15日、戦後70年の全国戦没者追悼式典に参列された天皇陛下がお言葉を述べられる姿がTV画面にあった。1日が黙祷の日だった。TV各局は戦後のドキュメント番組を放送。その中で、人間宣言をした昭和天皇が全国を巡るご巡幸を伝える特集があり、温かいエピソードが紹介された。
 昭和24年(1949)5月22日、九州ご巡幸の折、佐賀県基山町の因通寺でのことだった。寺には、戦災孤児の世話をする洗心寮があった。天皇は、寮に入ると、子どもたちに親しく声をかけてすすまれた。ある部屋で1人の女の子の前に佇まれた。女の子は2つの位牌を手にしていた。

 「お父さんとお母さんですか」と、天皇はたずねる。
 「はい、父と母です」と女の子。
 「どこで亡くなられたの」
 「父はソ満国境で、母は引き上げる時に亡くなりました」
 「お淋しい?」のお言葉に
 「淋しくはありません、私は仏さまの子ですから」と答え
 「仏さまの子は、お浄土で父と母に会えるのです。だから会いたくなったら仏さまに手を合わせ、父と母の名を呼ぶと、2人は優しく抱いてくれます。私は、淋しくありません」と続けた。
 天皇は女の子のそばに行き、頭をそっと撫でつつ話しかけた。
 「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育ってくださいね」
 昭和天皇の目には大粒の涙、それが頬を伝った。女の子が「お父さん」と呼んだ。
 天皇はあふれる涙を隠すことはなかった。周りの人は言葉を無くし、立ち竦んだ。

 天皇は、その想いを歌に詠まれた。
  みほとけの教へまもりてすくすくと生い育つべき子らに幸あれ
 この御製は因通寺の梵鐘に刻まれ、鐘の音とともに人々の心に届けられている。

 昭和天皇のご巡幸は、昭和21年2月に始まり、GHQの中止命令で22年12月に一旦中止された。この「涙」の話は、ご巡幸が再開されてすぐだったようだ。
 そして29年まで沖縄以外の全国の地、約3万3千キロを8年半余かけて廻られた「陛下の虚心なお姿」は、国土復興を願う日本人の魂を呼び覚ましたようだ。

by inakasanjin | 2020-05-08 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)