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日本のヘレン・ケラー中村久子

 昭和12年(1937)41歳の中村久子(1897~1968)は、アメリカの教育者で見えず聞こえず話せずの三重苦を背負ったヘレン・ケラー(1880~1968)と東京日比谷公会堂で会った。
 その時、久子は口を使って作った日本人形を贈った。ヘレンは久子を抱きしめ「私より不幸な人、そして私より偉大な人」と称賛した。すると、なぜか、久子は、瞬時、母の厳しさを恨んでいたのが、愛情だったことに気づき涙が溢れた。
 明治30年(1897)岐阜県高山市に生まれた久子は、三歳の時、凍傷で脱疽(だっそ)になり両手両足を切断。七歳で父を亡くして祖母と母に育てられた。特に母の躾は厳しかった。自分がいなくなった後、1人で生きていけるようにと、礼儀作法から食事、読書、書道、裁縫など徹底した。彼女は口で字を書き、針が通せるようになった。
 大正5年(1916)20歳で地元を離れた。自立するために見世物小屋の芸人として働き、両手両足のない体で編み物を見せる「だるま娘」の芸が評判をとった。後、結婚して娘も生まれたが、夫を早く亡くした。昭和9年(1934)興行界から身を引き、子を養うため1人働き続けた。
 彼女は障害者だからと「恩恵にはすがらない、1人で生きてゆく」決意で、生涯、国による障害者制度の保障を受けなかった。彼女はヘレンとの出会いの後、全国各地に赴き、講演、施設慰問、執筆活動などを始め、自分の奇異な生き方を語り始めた。

 「さきの世にいかなる罪を犯せしや拝む手のなき我は悲しき」
 「人は肉体のみで生きているのではありません。人は心で生きています」
 「どんなところにも必ず生かされていく道がございます。人生に絶望なし」
 「人間の1番大切なこと、黙って見ているということが1番大切なことですよ」
 「良き師、良き友に導かれ、かけがえのない人生を送らせて頂きました。
   今思えば、私にとって1番の良き師、良き友は両手、両足のないこの体でした」
 「神や仏というのは、病気を治してください、幸せにしてください、祈るものではありません、願うものでもありません、
   黙って見ているのが神や仏のお姿です」

 日本のヘレン・ケラーは、昭和43年、脳溢血で波乱万丈の生涯を閉じた。享年72。
 彼女は生きていく上で示唆に富む言葉、著書を残した。ありがたく頂戴したい。

             


by inakasanjin | 2020-04-24 09:00 | 歴史秘話 | Comments(0)