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「昭和」のふるさと 

 みやこ町勝山の「ゆいの郷」で話をした。その日は雪だった。あたり一面真っ白で、スッキリした景色が拡がっていた。会場に着く頃、みぞれになって厳しい寒さだった。人は集まるだろうか、と心配したが、会場は満席になった。
 「昭和」を創案した郷土の学者を偲ぼうと、吉田学軒顕彰会の発足式に参加。そこで行橋市図書館長の城戸淳一さんと分担して「学軒吉田増蔵の世界」を話した。
 吉田増蔵は、慶応二年(一八六六)勝山上田で生まれ、行橋市上稗田で村上仏山が開いた私塾「水哉園」に学んだ漢学者。明治十六年(一八八三)に上京して日々勉学に励んだ。そして明治三十四年(一九〇一)四月、宮内省判任文官試験に合格、御料局に勤めた。丁度、その月の二十九日に裕仁親王がお生まれになった。ちなみに、その年はノーベル賞が制定された年でもある。
 増蔵は、その後、宮内省を辞し、京都大学に入り、支那哲学を修め、奈良女子高等師範教授などを歴任。漢学を実用学として復活、名声を高めていった。そうした中で大正七年に森鴎外との出会いがあった。鷗外は宮内省図書頭として奉職。大正九年、増蔵は再び宮内省の図書寮編修官になり、鴎外との師弟関係がスタートした。
 鷗外と元号研究をすすめた。しかし大正十一年、鴎外は永眠。志半ばの鴎外の夢を増蔵は担うことになった。元号選定にあたっては、内閣から国府種徳が「立成、定業、光文、章明、協中」宮内省から増蔵が「神和、元化、昭和、同和、神化」が勧進された。そして「大正十五年十二月二十五日以降を改めて昭和元年と為す」詔書が発表された。
 元号は、大化(六四五)から始まり昭和は二四六番目。
 この「昭和」二文字を生んだふるさとを知ってもらおうと、有志が集った。いずれ形あるものとして「昭和」の証しができるだろう。伝えなければならないものは、伝える努力が大事だ。顕彰会では会員を募っている。元号に賛否両論 あるだろう、しかし世界に一つしかない文化であるとした なら、守ることが生きている者の務めではなかろうか。  
 住んでいる郷土で、伝えるもの、残すもの、を見分ける賢さを、生活の中で見つけていくことが大切だろう。


by inakasanjin | 2020-04-03 09:00 | ふるさと京築 | Comments(0)